必塔
- 必塔、字は蘇隠、一名は昌裔。生まれて月を経ずして父母が共に死に、禁掖で育った。長じて秦晉王公主を娶り駙馬都尉を拝し、殿前副点検となった。統和8年(990年)、北面林牙に改まり、太平4年(1024年)殿前都点検に遷り、国舅詳衮として出た。
- 太平9年(1029年)、渤海の大延琳が反乱を起こし隣部を刼掠すると、南京留守蕭孝穆と共に討ちに行った。孝穆は城を全うして降させようとし、重城を築いて数月包囲すると城中の人が陰かに来て款を納れ、遂に延琳を擒えて東京は平定された。その功により蘭陵郡王に封ぜられた。
- 太平11年(1031年)、聖宗が不豫になった。これより先、欽哀は仁徳皇后と隙があり、必塔がかつて后に愛されていたことをこれを忌んでいた。折しも護衛馮嘉努が変を上奏し、弟楚布が必塔と謀反したと誣告し、皇后が摂政して当立者を徐に議すとした。公主は密かにその謀を聞き必塔に言った。「そなたは無罪でありながら戮に遭うだろう。死ぬくらいなら女直国へ奔ってその生を全うしてはどうか」。必塔は言った。「朝廷がどうして飛語をもって忠良を害するはずがあろうか。むしろ死んでも他国へは適かない」。欽哀の摂政に及び、必塔は殺された。