遼史卷八十八 列傳第十八 耶律博諾
耶律博諾
- 耶律博諾、字は和爾沁。特哩衮尼嚕古の孫。景宗の時、烏爾古部詳衮となったが厳急で民が苦しみ、有司がこれを上聞すると詔して「博諾は方面の任にあり、細事で究問すれば威望を損なう恐れがある」とした。間もなく馬羣太保に遷った。
- 統和16年(998年)、燕軍のうち不任事の者を隠実して淘汰した。統和28年(1010年)、駕が高麗を征する際、博諾は先鋒となり銅州に至った。高麗将康肇は兵を三分して我が軍に抗し、一営は州西の三水の会に拠り肇はその中に居り、一営は州近くの山に、一営は城に附いて営した。
- 博諾は耶律鴻観を率いて三水営を撃破し、肇・李𤣥藴らを擒えると、敵軍は望風して潰滅した。大軍が至るに及んで三万余級を斬り、開京まで追って敵を西嶺で破った。高麗王詢は辺城が守れなくなったのを聞いて遁走し、博諾は開京に入りその王宮を焼き、その民を撫慰した。上はその功を嘉して北院大王に遷し、薨じた。