夏行美
- 夏行美、渤海人。太平9年(1029年)、大延琳が反乱を起こした時、行美は渤海軍を総べて保州にあった。延琳は人を遣って倶に叛くよう説いたが、行美はこれを執えて統軍耶律布庫に送り、また賊党百人を誘って殺した。延琳の謀は沮まれ、城に嬰って自守すること数月にして破られた。
- その功により同政事門下平章事を加えられ錫賚は甚だ厚かった。翌年、忠順軍節度使に擢された。重熙17年(1048年)、副部署に遷り、点検耶律義先に従って富珠哩を討ち、その酋托多羅を獲て帰った。致仕して卒し、上はその功を思って使を遣わし家に祭らせた。
史論
- 論じて言う。君子でなければどうして国を治められようか。まさに延琳を擒え遼東を定めた時、一時の諸将の功は偉大であり、剣を撫し掌を抵ち余勇を賈って天下に威を示すのも当然であった。蕭孝穆が南侵を諫めたその意は何と弘遠であったことか。これは口先の議論しかできぬ者に分かるものではない。移風易俗こそ治の本であり、煩碎を親らすることは大臣の体を失うことだとする論に至っても、何と深切著明なことか。国宝臣と称されたのも当然である。孝先は仁徳皇后弑殺の謀に与りながら、城社に依って逃れ、国の巨蠹となった。功があったとはいえ、何をか議すべきだろうか。