遼史卷八十六 列傳第十六 耶律哈爾吉

宋の宮廷芸人を「両国の交わり」を守って寛大に処した将

  • 耶律哈爾吉、字は特們。六院額爾竒木博果濟の後裔。重熙年間、西南面招討都監に累進、宋への生辰使として白溝駅に館した際、宋の宴で優人が蕭恵の河西での敗戦を嘲った。哈爾吉は「勝敗は兵家の常。我が嗣聖皇帝(太宗)は石重貴を捕虜とし、今も興中に石家寨の地名が残る。蕭恵の一敗など取るに足らぬ」と切り返し、宋人は恥じ入った。この一件を聞いた帝は「優伶の失言で両国の友好を傷つけてはならぬ」として優人を鞭打二百に処し、哈爾吉を免官とした。
  • 清寧初年、懐化軍節度使として復し、清寧七年、北院大王に召され豳国公に封じられ、遼興軍節度使・東北路詳衮を歴任、兼侍中を加えられ致仕して卒した。哈爾吉は明達で勤勉、懐柔の道に長け、諸賓館の設置や西辺の営田はいずれも哈爾吉が発案したものである。