遼史卷八十二 列傳第十二 蕭揚阿克
孝行と武勇で知られた将
- 蕭揚阿克、字は稍隱。端正厳格で遼漢の文字・天文・相法に通じた。父の喪に際し五畨部から自ら喪車を挽いて奚王嶺まで至り、その孝行を称された。19歳で本班郎君となり鐡林・鐡鷂・大鷹の三軍詳衮を歴任。乾統元年、烏爾古徳哷勒部屯田太保から易州刺史に転じたが、幸臣劉彦良の横暴を制したことで讒言され罷免されそうになったが、州民が留任を願い出て武安州観察使に任じられた。
- 烏爾古納喇・順義・彰信等の軍節度使を歴任し、東北路統軍使を権知した際、耶律朗布らの叛乱を聞き自ら三十余の麾下を率いて追捕し、負傷しながらも十余人を生擒したが首謀者を捕らえられなかったため一時免官となった。まもなく南京留守を権知して卒した。