遼史卷八十 列傳第十 馬得臣

貞観・開元の治を説いて帝を諫める

  • 馬得臣、南京の人で学問を好み博識、文才があり詩に長じていた。保寧年間、政事舎人・翰林学士を歴任し、朝議に加わって正直さで知られた。乾亨初年、宋軍がしばしば辺境を侵した折、南京副留守として翰林学士承旨に復した。
  • 聖宗即位後、皇太后の称制のもと侍読学士を兼ね、帝が唐の高祖・太宗・玄宗の三代の治績を閲覧するのに際し、得臣は法とすべき事跡を選んで進めた。宋討伐に扈従した際には「降伏者は殺すべからず、逃亡者は追うべからず」との進言をなし、帝はこれに従った。諫議大夫を兼ね宣徽院事を知る。
  • 帝が撃鞠(球技)に度を過ごすのを見て諫書を上奏した。「房玄齢・杜如晦は隋末の書生に過ぎなかったが、太宗に遇わなければ一代の名相たりえなかった。臣も陛下が東宮にあった頃より侍従の列に連なるが、いまだ聖徳を裨補できていない。陛下が貞観・開元の事を尋ねられたので、あらましを述べる。唐太宗は太上皇に侍って宴が終われば輦を挽き、玄宗は兄弟と家人の礼で歓飲した。陛下は祖考の後を嗣ぎ太后に孝を尽くしているが、なお六親と睦み愛敬を加えれば、その孝は二帝に匹敵しよう。
  • また二帝は経史を耽読し公卿を招いて講学に及び、日が傾くまで続けたため、当時の天下は文治になびいた。今、陛下も典籍に心を寄せ章句を読み解いておられるが、経理を研究し篤く実践すれば、二帝の治世も難事ではない。
  • また太宗が猪を射ようとした際に唐儉が諫め、玄宗が鷹を臂に据えた際に韓休が諫め、いずれも二帝は快く従った。今、陛下が毬馬を楽しみとされることには不適当な点が三つある。まず君臣が同じく戯れれば争いを免れず、勝てば臣は恥じ、負ければ君が喜ぶことになる。次に馬を躍らせ杖を振るい馳せ回れば上下の分をわきまえず先を争って勝ちを取り臣礼を失う。三つには万乗の尊きを軽んじて一時の楽しみに図り、万一手綱を誤れば社稷・太后への責めをどうするのか、というものである。臣の言葉を迂遠と思われず御一考いただければ天下の幸い、群臣の願いである」との内容であった。帝は感嘆し賞賛したが、まもなく卒し、太子太保を贈られ、有司に命じて葬儀を執り行わせた。