遼史卷七十六 列傳第六 趙思温
生涯
- 字は文美。盧龍の人。膂力に優れ劉仁恭の幕下から李存朂に敗れて捕らえられるも壮士として釈放され、梁との戦で驍勇の誉れを得て平州刺史・平営薊三州都指揮使となった。神冊2年、太祖の燕地経略に降り、渤海遠征では漢軍都団練使として扶餘城攻略に力戦し数創を負った。太宗即位後、検校太保・保静軍節度使に擢され、天顯11年の唐討伐援軍にも従軍。南京留守・盧龍軍節度使・開府儀同三司兼侍中となり「協謀静乱翊聖功臣」の号を賜り、臨海軍節度使に転じた。会同初め耶律徳哷の使いに随行して晋で冊礼を行い検校太師を加えられ、会同2年、星が庭に隕ちた際に卒し、太師・魏国公を追贈された。子の延昭・延靖は使相に至った。