遼史卷六十八 表第六 遊幸表
序文
- 北方の砂漠地帯では牧畜と狩猟を生業としており、これは漢人が農耕を生活の資とするのと同じで、生活の糧はここから生まれる。
- 遼が国家を建てて以降、五京を建設し南北両院を置いて中原の諸地域を統治するようになったが、遊猟の風習は依然として旧来のまま受け継がれた。太祖は四方の経営に忙しく暇がなかったが、穆宗・天祚帝の代になると、遊幸の記事は史書に書ききれないほど多くなった。
- そこで司馬遷が『史記』で封禅の記事を別に立てた例にならい、これを表として列記する。読む者はこれを鑑として見るべきである。ここに遊幸表を作成する。
表の記載
- 原本は歴代皇帝の遊幸を年月・行幸先ごとに列記した表であるが、底本のテキスト化に伴い罫線・配置の構造は失われ、丁付け(頁境界)の記号のみが残り、判読できる断片は残っていない。