遼史卷六十六 表第四 皇族表

序文

  • 遼の太祖が建国した当初、多くの弟たちが帝位を狙う動きを見せたが、太祖はこれを寛容に包容して教え導こうとし、誅殺に踏み切ることを忍びなかった。古の聖人でさえこうした処置には苦慮したという。太祖の度量は広大であったとはいえ、国家経営の観点からは配慮すべき遠謀があった。遼一代を通じて横帳・五院・六院の間から出た人物には大功のある者も多かったが、系譜として明示しなければその由来は分からなくなってしまう。そこでこの皇族表を作成する。

表の記載

  • 原本は皇族の系図を罫線・配置による図表の形で示したものだが、底本のテキスト化に伴い罫線・配置の構造は失われ、大部分は丁付け(頁境界)の記号のみが残っている。
  • わずかに判読できる断片として、以下の記載が残る。
  • 世次不明の一族に「太子太傅唐古」の名がある。
  • 「右は興宗神聖孝章皇帝より出づる系統である」との注記がある。
  • これ以外の系図本体(誰と誰が親子・兄弟であるかを示す配置)は、底本のレイアウトが失われているため本稿では再現できない。