遼史卷六十四 表第二 皇子表

序論

  • 帝は天下を家として官(治)め、九族に親しみ五宗を敬うのはその本旨は一つである。三代以前は封建が久しく長く続いたため、呉・魯・燕・蔡・衞・晋・鄭は太史公(司馬遷)がすでに世家を著した上に年表も列ね、それでも詳細を厭わなかった。漢代以降は封建の実は失われたが、なお名だけは残り、長く続いた家は世家に登り、絶えた家は列伝に置かれたが、王子や侯についてはなお年表で示すことができた。班固は、名ばかりで実の無いものは諸侯を合わせて年を削り世で表すべきだと考え、君子はこれを是とした。魏以降は帝も王もなく、王侯は身をもって数度封を移し、朝に謀って夕べに定まらないというありさまとなり、これを列ねて伝とすれば、功はなお法を垂れるに足らず、罪はなお戒めを著すに足らず、いよいよ碌々(凡庸)となった。今、その功罪の著しい者を摘んで諸伝に列ね、親を親しみ長を敬う義を叙べ、他に書くべきもののない者は簡略に表して示す。これを「皇子表」とする。