遼史卷四十二 志第十二 厯象志上

序(暦象志を作る理由)

遼は幽・営の地に建国し、礼楽制度の規模は日々完成し、授暦頒朔(暦法を定め正朔を頒つこと)は200余年に及んだ。いま詔を奉じて遼史を修めるにあたり、体裁は宋史・金史に倣うもので、その大明暦の記載は欠かせない。暦書の法は禁じられて得られなかったため大明暦の元(起点)を求めたところ、外史(民間の書)に祖冲之の法を得た。冲之の法は遼暦の由来するところであろう。本朝(元)もまたこれに因り冲之の法をもって算じているが、遼が暦を更めた年に元数を起こしたのは、おそらくこれが遼の大明暦である。遼暦はこれによって補うことができるが、あえて補わない。史は欠文を貴ぶものだからである。外史がその法を記し、司天がその職を存すれば、遼史の志はこれで足りる。よって暦象志を作る。

  • 大同元年(947年)、太宗皇帝は晋の汴京から百司の僚属・伎術・暦象を収めて中京に遷し、遼はここに初めて暦を有した。これより先、梁・唐はなお唐の景福・崇玄暦を用いていた。晋の天福4年(939年)、司天監の馬績が「乙未元暦」(調元暦)と号する暦を上奏し、太宗が汴京で収めたのはこれである。
  • 穆宗の応暦11年(961年)、司天の王白・李正らが暦を進めたが、これも乙未元暦であった。
  • 聖宗の統和12年(994年)、汗州刺史の賈俊が新暦を進めた、これが大明暦である。高麗が記した『大遼古今録』にも「統和12年に初めて正朔を頒ち改暦した」とあり符合する。
  • 大明暦はもともと祖冲之の法に基づき、その詳細は沈約『宋書』に見える。以下に掲げる。
  • 宋の武帝の大明6年(462年)、祖冲之は甲子元暦の法を上奏したが施行されるに至らなかったため大明暦と名づけられた。
  • 上元甲子より宋の大明7年(463年)癸卯に至るまで51,939年(算外)。

暦法の基本数値

  • 元法:592,365
  • 紀法:39,491
  • 章歳:391
  • 章月:4,836
  • 章閏:144 閏法:12
  • 月法:116,321
  • 日法:3,939
  • 餘数:207,044
  • 歳餘:9,589
  • 没分:3,605,951
  • 没法:51,761
  • 周天:14,424,664
  • 虚分:10,449
  • 行分法:23
  • 小分法:1,717
  • 通周:726,810
  • 会周:717,777
  • 通法:26,377
  • 差率:39

推朔術(朔日の求め方)

上元よりの年数(算外)に章月(4,836)を乗じ、章歳(391)で満ちる数を積月とし、余りを閏餘とする。閏餘が247以上であればその年に閏がある。積月に月法(116,321)を乗じ日法(3,939)で満ちる数を積日とし、余りを小餘とする。六旬(60)で積日を除いた余りを大餘とする。大餘は甲子より数える(算外)。求める年の天正十一月朔である。小餘が1,849以上であればその月は大の月である。

  • 求次月:大餘に29、小餘に2,090を加え、満ちれば日法から大餘に繰り上げ、大餘が六旬に満ちれば除く。これが次月の朔である。
  • 求弦望:朔の大餘に7、小餘に1,507、小分に1を加える。小分が4に満てば小餘に繰り上げ、小餘が日法に満てば大餘に繰り上げる。これが上弦の日である。さらに加えると望、さらに加えると下弦、さらに加えると次の月の朔となる。

推閏術(閏月の求め方)

閏餘を章歳から減じ、閏法(12)で満ちる数を1月とし、天正(算外)から命じて閏の所在を得る。閏には進退があり、中気の無い月を正とする。

推二十四気

上元よりの年数(算外)に餘数(207,044)を乗じ、紀法(39,491)で満ちる数を積日とし、余りを小餘とする。六旬で積日を除いた余りを大餘とする。大餘は甲子より数える(算外)。天正十一月の冬至の日である。

  • 求次気:大餘に15、小餘に8,626、小分に5を加える。小分が6に満てば小餘に繰り上げ、小餘が紀法に満てば大餘に繰り上げる。これが次の気の日である。
  • 求土王用事:冬至の大餘に27、小餘に15,528を加えると季月の土用事の日である。さらに大餘91、小餘12,270を加えると次の土用事の日である。

推没術

90を冬至の小餘に乗じ、没分(3,605,951)から減じ、没法(51,761)で満ちる数を日とし、余りを日餘とする。冬至より命ずる(算外)これが没日である。

  • 求次没:日に69、日餘に34,442を加える。日餘が没法に満てば日に繰り上げる。これが次の没日である。日餘が尽きれば「滅」とする。

推日所在度術

紀法(39,491)を朔積日に乗じて度実とし、周天(14,424,664)で満ちる数を除き、残りを紀法で満ちる数を積度とし、余りを度餘とする。虚一の宿から命じて除く(算外)。これが天正十一月朔夜半の日の所在度である。

  • 求次月:大の月は度30、小の月は度29を加える。虚に入れば度分を去る。
  • 求行分:小分法(1,717)で度餘を除して得たものを行分とし、余りを小分とする。小分が法に満てば行分に繰り上げ、行分が法に満てば度に繰り上げる。
  • 求次日:一度を加え、虚に入れば行分6、小分147を去る。

推月所在度術

朔小餘に124を乗じて度餘とし、また朔小餘に860を乗じて微分とする。微分が月法(116,321)に満てば度に繰り上げる。度餘が紀法に満てば度とし、朔夜半の日の所在から減ずると月の所在度となる。

  • 求次月:大の月は度35、度餘31,834、微分77,967を加える。小の月は度22、度餘17,261、微分63,736を加える。虚に入れば度を去る。

遅疾暦(月の日々の運行度と盈縮の表)

以下の表は、朔から28日目までの月の一日あたりの運行度(月行度)、損益率、累積の盈縮積分、差法(当日の速度に応じた換算係数)を示す。数値は底本の分数表記(度・行分・盈縮積分の端数)をそのまま写す。

月行度 損益率 盈縮積分 差法
1日 十四度(行分十三) 益七十 盈初 5,304
2日 十四度(行分十一) 益六十五 盈百八十四萬二十(三百一十六) 5,270
3日 十四度(行分十) 益五十七 盈三百五十五萬(七百六) 5,219
4日 十四度(行分八) 益四十七 盈五百五萬八千(三百八) 5,151
5日 十三度(行分二十一) 益三十四 盈六百二十九萬七千八百五十七 5,066
6日 十三度(行分十七) 益二十二 盈七百二十萬二千六百九十一 4,981
7日 十三度(行分十一) 益六 盈七百七十七萬二千七百一十九 4,879
8日 十三度(行分五) 損九 盈七百九十四萬九百五十二 4,777
9日 十二度(行分二十二) 損二十四 盈七百七十萬七千四百一十五 4,675
10日 十二度(行分十六) 損三十九 盈七百七萬二千一百 4,573
11日 十二度(行分十一) 損五十二 盈六百三萬五千七 4,488
12日 十二度(行分八) 損六十 盈四百六十六萬三千一百 4,437
13日 十二度(行分六) 損六十五 盈三百九萬三百 4,403
14日 十二度(行分四) 損七十 盈百三十八萬三千五百八十 4,369
15日 十二度(行分五) 益六十七 縮四十五萬七千六十九 4,386
16日 十二度(行分七) 益六十二 縮二百二十三萬七百五十五 4,420
17日 十二度(行分十) 益五十五 縮三百八十七萬五千四 4,471
18日 十二度(行分十四) 益四十五 縮五百三十一萬九千三百八十五 4,529
19日 十二度(行分十九) 益三十二 縮六百四十八萬四百四 4,624
20日 十三度(行分一) 益十九 縮七百三十一萬六千六百八 (底本欠)
21日 十三度(行分七) 益四 縮七百八十一萬七千九百九十六 4,811
22日 十二度(行分十二) 損十一 縮七百九十一萬七千六百七 4,913
23日 十三度(行分十九) 損三十七 縮七百六十一萬五千四百四十 5,015
24日 十四度(行分一) 損三十九 縮六百九十萬一千四百九十五 5,100
25日 十四度(行分十六) 損五十二 縮五百八十七萬一千七百二十五 5,185
26日 十四度(行分十) 損六十二 縮四百四十九萬九千一百五十九 5,253
27日 十四度(行分十二) 損六十七 縮二百八十五萬七千七百三十二 5,287
28日 十四度(行分十) 損七十四 縮百八萬二千三百七十九 5,331
  • 推入遅疾暦術:通法(26,377)を朔積日に乗じて通実とし、通周(726,810)で満ちる数を去り、余りを通法で満ちる数を日とし、余りを日餘とする(算外)。これが天正十一月朔夜半入暦の日である。
  • 求次月:大の月は2日、小の月は1日を加える。日餘はいずれも11,746。暦が27日、日餘14,631に満てば去る。
  • 求次日:1日を加える。日の所在の定度を求めるには、夜半入暦の日餘に損益率を乗じ、盈縮積分を差率で割ったものを損益し、紀法で満ちる数を度とし、余りを度餘とする。盈は加え縮は減じて平行度及び餘を定度とする。益するときは法に満てば損じ、不足すれば紀法をもって進退し度・行分を求める。次日を求めるには入る所の遅疾に従い加減する。虚に入れば行分を去ることは前と同じ。

陰陽暦(月の黄道からの遠近を示す表)

以下は入陰陽暦1日から14日までの損益率と兼数(累積値)を示す。

損益率 兼数
1日 益十六
2日 益十五 十六
3日 益十四 三十一
4日 益十二 四十五
5日 益九 五十七
6日 益五 六十六
7日 益一 七十一
8日 損二 七十二
9日 損六 七十
10日 損十 六十四
11日 損十三 五十四
12日 損十五 四十一
13日 損十六 二十六
14日 損十六
  • 推入陰陽暦術:通実を会周(717,777)で去り、満たない場合は交数258,888半を朔入陽暦分としてそれぞれ去り朔入陰暦分とし、それぞれ通法で満ちる数を1日とし、余りを日餘とする(算外)。これが天正十一月朔夜半入暦の日である。
  • 求次月:大の月は2日、小の月は1日を加える。日餘はいずれも20,779。暦が13日、日餘15,987半に満てば去る。陽が竟れば陰に入り、陰が竟れば陽に入る。
  • 求次日:1日を加える。朔望差を求めるには、2,029を朔小餘に乗じ303で満ちる数を日餘とし、余りを倍して小分とすると朔差数となる。14日、日餘20,186、小分125を加え、小分が606に満てば日餘に繰り上げ、日餘が通法に満てば日とすると望差数となる。さらに加えると次月の朔となる。
  • 求合朔月食:朔望夜半入陰陽暦及び餘に半分がある場合は去り、小分303を置いて差数を加え、小分が606に満てば日餘に繰り上げ、日餘が通法に満てば日に繰り上げ、日が1暦に満てば去る(算外)。これが朔望加時入暦である。朔望加時入暦が1日、日餘4,198、小分428以下、12日、日餘11,788、小分481以上であれば、朔ならば交会、望ならば月食となる。
  • 求合朔月食定大小餘:合の差数の日餘を夜半入遅疾暦の餘に加え、日餘が通法に満てば日に繰り上げる。これが朔望加時入暦である。入暦の餘に損益率を乗じ、盈縮積分を差法で割ったものを損益し、盈は減じ縮は加えて本の朔望小餘を定小餘とする。益するときは法に満てば損じ、不足すれば日法をもって進退する。
  • 求合朔月食加時:定小餘に12を乗じ日法で満ちる数を1辰とし、子より命ずる(算外)これが加時の所在の辰である。余りがあれば4倍し日法に満てば1とし「少」、2で「半」、3で「太」とする。さらに余りがあれば3倍し日法に満てば1とし「強」とする。強を少に合わせれば少強、半に合わせれば半強、太に合わせれば太強とし、2を得れば少弱とし、太に合わせれば1辰弱として前の辰の名で呼ぶ。
  • 求月去日道度:入陰陽暦の餘に損益率を乗じ通法で割ったものを損益して兼数の定数とし、定数を12で割ったものを度とし、余りを3で割ったものを少・半・太とし、さらに余りがあれば1で「強」、2で「少弱」とすると、月が日道を去る度数となる。陽暦は表(外側)、陰暦は裏(内側)にある。

測景漏刻中星数(二十四節気の日影・昼夜漏刻・昏明中星の表)

以下は二十四節気ごとの日中の日影の長さ、昼漏刻・夜漏刻、昏中星度・明中星度を示す(数値の端数は底本の分数表記のまま写す)。

節気 日中景 昼漏刻 夜漏刻 昏中星度 明中星度
冬至 一丈三尺 四十五 五十五 八十二(行分二十一) 二百八十三(行分八)
小寒 一丈二尺四寸三分 四十五(六) 五十四(四) 八十四 二百八十二(六)
大寒 一丈一尺二寸 四十六(七) 五十三(二) 八十六(三) 二百八十(六)
立春 九尺八寸 四十八(四) 五十一(六) 八十九(三) 二百七十七(三)
雨水 八尺一寸七分 五十(五) 四十九(五) 九十三 二百七十二(七)
驚蟄 六尺六寸七分 五十二(九) 四十七(一) 九十七 二百六十八(二十)
春分 五尺三寸七分 五十五(五) 四十四(五) 百二(三) 二百六十四(三)
清明 四尺二寸五分 五十八(一) 四十一(九) 百六(二十一) 二百五十九(八)
穀雨 三尺二寸六分 六十(四) 三十九(六) 百一十一(三) 二百五十四(四)
立夏 二尺五寸三分 六十二(四) 三十七(六) 百一十四(十八) 二百五十一(七)
小満 一尺九寸九分 六十三(九) 三十六(一) 百一十七(十二) 二百四十八(十七)
芒種 一尺六寸九分 六十四(八) 三十五(二) 百一十九(四) 二百四十七(二)
夏至 尺五寸 六十五 三十五 百一十九(十二) 二百四十六(十七)
小暑 一尺六寸九分 六十四(八) 三十五 百一十九(四) 二百四十七
大暑 一尺九寸九分 六十三(九) 三十六(一) 百一十七(十二) 二百四十八(十七)
立秋 二尺五寸三分 六十二(四) 三十七(六) 百一十四(十八) 二百五十一(十一)
処暑 三尺二寸六分 六十(四) 三十九(六) 百一十一(二) 二百五十四(四)
白露 四尺二寸五分 五十八(一) 四十一(九) 百六(二十一) 二百五十九(八一)
秋分 五尺三寸七分 五十五(五) 四十四(五) 百二(三) 二百六十四(二)
寒露 六尺六寸七分 五十二(九) 四十七(一) 九十七(九) 二百六十八(二十)
霜降 八尺一寸七分 五十(五) 四十九(五) 九十三 二百七十三(七)
立冬 九尺八寸 四十八(四) 五十一(六) 八十九(三) 二百七十七(三)
小雪 一丈一尺一寸 四十六(七) 五十三(三) 八十六(一) 二百八十(六)
大雪 一丈二尺四寸三分 四十五(六) 五十四(四) 八十四 二百八十二(六)
  • 求昬明中星:各節気の度数に夜半の日の所在度を加えたものが、その中星度である。

推五星術(五星〈木火土土金水〉の運行の求め方)

  • 木率:15,753,082
  • 火率:30,804,196
  • 土率:14,930,354
  • 金率:23,061,014
  • 水率:4,576,204

推五星術:度実を各率で除し、余りを率から減じ、その残りを紀法で割ったものを入歳日とし、余りを日餘とし、天正朔(算外)から命ずると星合の日となる。

  • 求星合度:入歳日及び餘を天正朔の日積度及び餘に加え、紀法に満ちれば度に繰り上げ、度が360度に満ちれば度分を去る。虚一(算外)から命じて星の合する所在度を得る。
  • 求星見日:術に応じた伏日及び餘を星合日及び餘に加え、餘が紀法に満てば日に繰り上げる。命じ方は前の通り、これが星の見える日である。
  • 求星見度:術に応じた伏度及び餘を星合度及び餘に加え、餘が紀法に満てば度に繰り上げ、虚に入れば度分を去る。命じ方は前の通り、これが星の見える度である。
  • 行五星法:小分法(1,717)で度餘を除して得たものを行分とし、余りを小分とする。及び日ごとに行分を加え法に満てば度に繰り上げる。留まる場合は前の値により、逆行する場合は減じる。伏していれば度を尽くさずに行とし、虚に入れば行分6、小分147を去る。逆行して虚を出れば加える。

木星

初めて日と合して伏すこと16日、日餘17,832、行くこと2度、度餘37,504で晨に東方に見える。従い日に4分行き112日で19度11分行く。留まること28日。逆に日3分行き86日で11度5分退く。また留まること18日。従い日に4分行き115日で夕に西方に伏す。日度餘は初めと同じ。一終398日、日餘55,664、行くこと33度、度餘25,215。

火星

初めて日と合して伏すこと27日、日餘608、行くこと55度、度餘28,865で晨に東方に見える。従い疾く日に17分行き92日で68度行く。小遅で日14分行き92日で56度行く。大遅で日9分行き92日で36度行く。留まること10日。逆に日6分行き64日で16度16分退く。また留まること10日。従い遅く日9分行き92日、小疾で日14分行き92日、大疾で日17分行き92日で夕に西方に伏す。日度餘は初めと同じ。一終780日、日餘1,216、行くこと414度、度餘30,258。一周を除いた定行は49度、度餘19,809。

土星

初めて日と合して伏すこと17日、日餘1,378、行くこと1度、度餘19,333で晨に東方に見える。順に日2分行き84日で7度7分行く。留まること33日。逆に日1分行き110日で4度18分退く。また留まること33日。従い日2分行き84日で夕に西方に伏す。日度餘は初めと同じ。一終378日、日餘2,756、行くこと12度、度餘31,798。

金星

初めて日と合して伏すこと39日、日餘38,126、行くこと49度、度餘38,126で夕に西方に見える。従い疾く日1度5分行き92日で112度行く。小遅で日1度4分行き92日で108度行く。大遅で日17分行き45日で23度6分行く。留まること9日。遅く日16分行き9日で6度6分退く。夕に西方に伏す。伏すこと5日で5度退いて日と合し、また5日で5度退いて晨に東方に見える。逆に日16分行き9日、留まること9日。従い遅く日17分行き45日、小疾で日1度4分行き92日、大疾で日1度5分行き92日で晨に東方に伏す。日度餘は初めと同じ。一終583日、日餘36,761、行く星も同じ。一周を除いた定行は280度、度餘26,313。合すること291日、日餘38,126、行く星もまた同じ。

水星

初めて日と合して伏すこと14日、日餘37,115、行くこと30度、度餘37,115で夕に西方に見える。従い疾く日1度6分行き23日で29度行く。遅く日20分行き8日で6度22分行く。留まること2日。遅く日11分行き2日で21分退く。夕に西方に伏す。伏すこと8日で8度退いて日と合し、また8日で8度退いて晨に東方に見える。逆に日11分行き2日、留まること2日。従い遅く日20分行き8日、疾く日1度6分行き23日で晨に東方に伏す。日度餘は初めと同じ。一終115日、日餘34,739、行く星も同じ。一合57日、日餘37,115、行く星もまた同じ。

上元の年について

上元の年は歳が甲子にあたり、天正甲子朔夜半冬至の日、月・五星は虚度の初めに集まり、陰陽・遅疾はこれより始まる。

  • 梁の武帝の天監3年(504年)、祖冲之の子の祖暅が何承天暦の乖謬を論じて用いるべきでないと上疏し、9年正月に祖冲之が造った甲子元暦を用いて頒朔するよう詔された。陳もまた梁に因り祖冲之暦を用いた。遼の聖宗に至り賈俊が進めた新暦は宋の大明の旧号に因り実施され、金では「重修大明暦」といい、元にも伝わってなお「重修大明暦」と呼ばれた。授時暦に改めるに及んで別に司天監を立てて存肄させ、毎歳甲子の冬至にその法を重修し太史院にその書を存したが、禁じられて聞くことはできなかった。