遼史卷十四 本紀第十四 聖宗五

統和十六年(998年)

  • 春正月乙丑、長濼に行幸。二月庚子、夏国が使者を遣わし来貢。丙午、監門衛上将軍耶律錫哷を中台省左相とした。三月甲子、女直が使者を遣わし来貢。乙亥、布古徳の酋長が来貢。夏四月癸卯、崇徳宮所隷の州県で水害に遭った民を賑した。丁未、民が官俸を輸することを罷め内帑から給した。己酉、雨乞い。乙卯、木葉山に行幸。五月甲子、白馬神を祭った。丁卯、木葉山を祠り来歳の南伐を告げた。庚辰、鉄驪が来貢。乙酉、上京に還り、婦人で九十を踰える者に物を賜った。六月戊子朔、祖・懐二陵に致奠。この月、炭山で清暑。秋七月丁巳朔、囚を録し聴政。八月丁亥朔、東幸。九月丁巳朔、得勝口に駐蹕。冬十一月、使者を遣わし高麗国王誦を冊立した。十二月丙戌、宋国王休格が薨じ輟朝五日、皇弟恒王隆慶を梁国王に、南京留守鄭王隆祐を呉国王に進封した。この年、進士楊文立ら二人が及第。

統和十七年(999年)

  • 春正月乙卯朔、長春宮に行幸。夏四月、炭山に行幸し清暑。六月、烏舎烏哲図が来る。秋七月、伐宋のため諸道に詔諭した。九月庚辰朔、南京に行幸。己亥、南伐。癸卯、鬼箭を射た。北院樞密使魏王耶律色珍が薨じ、韓徳讓に北院樞密使事を兼知させた。冬十月癸酉、遂城を攻めたが克たず、蕭継遠を遣わし狼山鎮の石砦を攻め破った。瀛州に至り宋軍と戦い、その将康昭裔・宋順を擒え兵仗器甲を無数に獲た。進んで楽寿県を攻め拔き、遂城に至ると敵衆が水に臨んで拒んだため騎兵を縦して突撃させ殆ど殺戮し尽くした。この年、進士初錫ら四人が及第。

統和十八年(1000年)

  • 春正月、南京に還り功のあった将士に賞を与え、命に従わなかった者を罰し、諸軍に本道への帰還を詔した。二月、延芳淀に行幸。夏四月己未、清泉淀に駐蹕。五月丁酉、炭山に行幸し清暑。六月、準布の叛酋呼紐の弟特徹布が部衆を率いて来附、呼紐は帰る所がなくなり降ったため詔して誅した。秋七月、湯泉に駐蹕。九月乙亥朔、黒河に駐蹕。冬十一月甲戌朔、西平王李繼遷の子徳昭に朔方軍節度使を授けた。十二月、回鶻が来貢。この年、進士南承保ら三人が及第。

統和十九年(1001年)

  • 春正月辛巳、祗候郎君班詳衮観音を奚六部大王とした。甲申、回鶻が梵僧・名医を進上。三月乙亥、夏国が李文貴を遣わし来貢。乙酉、西南面招討司が党項討伐の捷を奏した。壬辰、皇后蕭氏が罪により貴妃に降され、大丞相韓徳讓に「徳昌」の名を賜った。夏四月乙巳、呉国王隆祐の邸に行幸し病を視た。丙午、皇太后に問安。五月癸酉、炭山に行幸し清暑。丙戌、蕭氏を冊立し斉天皇后とした。庚寅、十伊喇詳衮耶律仁努を伊実大王とした。辛卯、青牛白馬で天地を祭った。六月乙巳、俘獲した宋将康昭裔を昭順軍節度使とした。戊午、夏国が宋の恒・懐慶等三州を下したと奏し詔で褒めた。秋七月丙戌、東京統軍使耶律諾衮を南府宰相とした。八月庚戌、達囉克部が来貢。九月己巳朔、皇太后に問安。戊子、昌平に駐蹕。庚寅、西南面招討司が吐谷渾討伐の捷を奏した。辛卯、南京に行幸。冬十月己亥、南伐。壬寅、塩溝に至り呉国王隆祐を楚国王に徙封し京師に留守させた。丁未、梁国王隆慶が先鋒軍を統率し進軍。辛亥、鬼箭を射た。壬子、青牛白馬で天地を祭った。甲寅、遼軍が遂城で宋兵と戦い破った。庚申、黒白羊で天地を祭った。丙寅、満城に至り泥淖により班師。十一月庚午、鬼箭を射た。丙子、宋兵が淤口・益津関を出て侵犯、偵候瑪と虞人珠克がこれを撃破。己卯、儒門濼で漁を観た。閏月己酉、布古徳が来貢。己未、関市の税を減じた。十二月庚辰、南京・平州の租税を免除。

統和二十年(1002年)

  • 春正月庚子、延芳淀に行幸。癸丑、東方に五色虹が現れ、西南面の向化諸部を安撫するよう詔した。甲寅、夏国が使者を遣わし馬駞を貢した。辛酉、女直宰相伊爾岱が来貢。二月丁丑、女直がその子を遣わし来朝。高麗が使者を遣わし伐宋の捷を賀した。三月甲寅、北府宰相蕭継遠らを遣わし南伐。壬戌、鴛鴦濼に駐蹕。夏四月丙寅朔、文班太保達里塔が梁門で宋兵を破った。甲戌、南京統軍使蕭達林が泰州で宋軍を破った。乙酉、南征の将校が捕虜を献じ爵賞を賜った。戊子、鉄驪が使者を遣わし来貢。五月乙卯、炭山に行幸し清暑。六月、夏国が劉仁朂を遣わし霊州を下したと告げた。秋七月甲午朔、日食があった。丁酉、邢抱朴を南院樞密使とした。辛丑、高麗が使者を遣わし本国の地理図を献じた。九月癸巳朔、顕陵に謁し南伐の捷を告げた。冬十月癸亥朔、顕陵より至る。十二月、奚王府五帳六節度が七金山土河川の地を献じ金幣を賜った。この歳、南京・平州で麦が両岐に秀で、進士邢祥ら六人が及第。

統和二十一年(1003年)

  • 春正月、鴛鴦濼に行幸。三月壬辰、日暦官に細事を書かないよう詔した。甲午、皇太后に朝謁。戊午、鉄驪が来貢。夏四月乙丑、女直が使者を遣わし来貢。戊辰、烏舎・渤海・鄂羅木伊埒図・伊哷呼等の五部が使者を遣わし来貢。この月、耶律諾衮・蕭達林が望都で宋将王継忠を獲た。五月庚寅朔、炭山に行幸し清暑。丁巳、西平王李繼遷が薨じその子徳昭が使者を遣わし告げた。六月己卯、繼遷に尚書令を贈り西上閤門使丁振を遣わし弔慰した。辛巳、党項が来貢。乙酉、準布・徳埒哩が諸部を率いて来降し哈屯城を修めた。秋七月庚戌、準布・烏爾古が来貢。甲寅、奚王府監軍耶律舒嚕を南院大王とした。八月乙酉、準布・徳埒哩が来朝。丙戌、皇太后に朝謁。九月己亥、夏国の李徳昭が再び使者を遣わし弔贈を謝した。癸丑、女河湯泉に行幸しその名を松林と改めた。冬十月丁巳、七渡河に駐蹕。戊辰、楚国王隆祐を西南面招討使とした。十一月壬辰、旧裕悦耶律休格の子道士努・髙九らの謀叛が発覚し誅に伏した。丙申、南院部民を通括した。十二月癸未、三京諸道の貢を罷めた。

統和二十二年(1004年)

  • 春正月丁亥、鴛鴦濼に行幸。二月乙卯朔、女直が使者を遣わし来貢。丙寅、南院樞密使邢抱朴が薨じ輟朝三日。三月己丑、番部の千齢節及び冬至重五の貢を罷めた。乙未、西夏李徳昭が使者を遣わし繼遷の遺物を上げた。夏四月丁卯、皇太后に朝謁。五月、炭山に行幸し清暑。六月戊子、哈屯城を鎮州とし軍を建安とした。秋七月甲申、使者を遣わし夏国李徳昭を西平王に封じた。丁亥、烏舎・富珠哩・博和哩・伊埒図・鄂羅木部が来貢。八月丙辰、党項が来貢。庚申、準布・徳埒哩が来朝。戊辰、徳埒哩が求婚したが許さなかった。丙子、犬牙山に駐蹕。九月己丑、南伐のため高麗に諭した。丙午、南京に行幸。女直が使者を遣わし獲た烏哲図の妻子を献じた。丁未、太宗皇帝廟に致祭。北院大王穆爾古・太尉老君努に北南王府の兵を監させた。庚戌、楚国王隆祐に京師留守を命じた。閏月己未、南伐。癸亥、固安に至り獲た諜者を鬼箭で射た。甲子、青牛白馬で天地を祭った。丙寅、遼師が唐興で宋兵と戦い大破。丁卯、蕭達林が遂城で宋軍と戦い破った。庚午、望都に軍した。冬十月乙酉、黒白羊で天地を祭った。丙戌、瀛州を攻めたが克たず。甲午、祁州を下し降兵に酒脯で天地を祭って労った。己酉、西平王李徳昭が使者を遣わし封冊を謝した。十一月癸亥、軍馬都指揮使耶律科里が洺州で宋兵に遭遇し撃退。甲子、東京留守蕭巴雅爾が宋の魏府官田逢吉・郭守栄・常顕・劉綽らを獲て献じた。丁卯、南院大王善補が「宋が人を遣わし王継忠に弓矢を贈り密かに求和を請う」と奏し、詔して継忠に使者と会わせ和を許すこととした。庚午、徳清軍を攻め破った。壬申、澶淵に至り蕭達林が伏弩に中り死んだ。乙亥、通利軍を攻め破った。丁丑、宋が崇儀副使曹利用を遣わし請和し、飛龍使韓杞に書を持たせ報聘した。十二月庚辰朔、日食があった。癸未、宋が再び曹利用を遣わし還地の意なきことを述べたため監門衛大将軍姚東之に書を持たせ報じさせた。戊子、宋が李継昌を遣わし請和、太后を叔母とし歳ごとに銀十万両絹二十万匹を輸すことを願い、これを許し閤門使丁振に書を持たせ報聘させた。己丑、諸軍解厳を詔し、この月班師。皇太后は大丞相斉王韓徳昌に耶律姓を賜り王晋に徙した。この年、進士李可封ら三人が及第。

統和二十三年(1005年)

  • 春正月戊午、南京に還り大いに将卒を饗し爵賞に差あり。二月丙戌、振武軍に𣙜場を復置した。丁巳、夏国が宋の青城を下したと使者を遣わし告げた。辛酉、皇太后に朝謁。特哩衮華格を南院大王、行軍都監老君努を特哩衮とし党項部を鎮めさせた。丁夘、回鶻が来貢。丁丑、易州飛狐招安使を安撫使に改めた。夏四月丙戌、女直及び阿爾斯蘭回鶻が使者を遣わし来貢。乙未、鉄驪が来貢。己亥、党項が来侵。五月戊申朔、宋が孫僅らを遣わし皇太后の生辰を賀した。乙卯、陣亡将士の家に金帛を賜った。丙寅、高麗が宋との和を理由に使者を遣わし賀した。六月壬辰、炭山に行幸し清暑。甲午、準布・徳埒哩が使者を遣わし宋との和を賀した。己亥、達旦国九部が使者を遣わし来聘した。秋七月癸丑、皇太后に問安。戊午、党項が来貢。辛酉、青牛白馬で天地を祭った。壬戌、烏爾古が来貢。丁卯、女直が使者を遣わし来貢、阿爾斯蘭回鶻が使者を遣わし先に留めた使者の返還を請い、これを遣わした。九月甲戌、太尉阿里・太傅揚魯を遣わし宋主の生辰を賀した。冬十月丙子朔、布古徳が来貢。戊子、皇太后に朝謁。甲午、七渡河に駐蹕。癸卯、宋の歳幣が初めて至り、これより常となった。十一月戊申、太保和卓を遣わし韓簡に頒給、太后は太師博諾・政事舎人髙正を遣わし宋の正旦を賀した。辛亥、桑乾河で漁を観た。丁巳、大丞相耶律徳昌に宮籍を横帳に出すよう詔した。十二月丙申、宋が周漸らを遣わし千齢節を賀した。丁酉、また張若谷らを遣わし正旦を賀した。

統和二十四年(1006年)

  • 春正月、鴛鴦濼に行幸。夏五月壬寅朔、炭山に行幸し清暑。皇太妃呼紐の子を懐州に幽し夫人伊蘭を南京に囚え、余党は皆生きたまま瘞めた。秋七月辛丑朔、南幸。八月丙戌、南京宮の宣教門を元和、外三門を南端、左掖門を万春、右掖門を千秋と改めた。この月、沙州燉煌王曹夀が使者を遣わし大食国の馬及び美玉を進上、対衣・銀器等の物を賜った。九月、南京に行幸。冬十月庚午朔、帝が群臣を率い皇太后に尊号「睿徳神畧応運啓化承天皇太后」を上り、群臣が帝に尊号「至徳広孝昭聖天輔皇帝」を上り大赦した。この年、進士楊佶ら二十二人が及第。

統和二十五年(1007年)

  • 春正月、中京を建てた。二月、鴛鴦濼に行幸。夏四月、炭山に行幸し清暑。六月、皇太妃呼紐に幽所で死を賜った。秋七月壬申、西平王李徳昭の母が薨じ使者を遣わし弔祭した。甲戌、使者を遣わし起復させた。九月、西北路招討使蕭托雲が準布を討ちこれを破った。冬十月丙申、中京に駐蹕。十二月己酉、饒州の饑民を賑した。

統和二十六年(1008年)

  • 春二月、長濼に行幸。夏四月辛卯朔、木葉山を祠った。五月庚申朔、上京に還る。丙寅、高麗が龍鬚草席を進上。己巳、中京の完成を賀す使者を遣わした。庚午、祖・懐二陵に致祭。辛未、懐州に駐蹕。秋七月、太祖・太宗譲国皇帝・世宗の諡を増し、皇太弟魯呼を欽順皇帝と諡した。冬十月戊子朔、中京に行幸。十二月、蕭托雲が甘州回鶻討伐の捷を奏し、その王伊嚕勒が降り撫慰して還った。この年、進士史克忠ら一十三人が及第。

統和二十七年(1009年)

  • 春正月、土河で釣魚し瑞鹿原で狩猟。夏四月丙戌朔、中京に駐蹕し宮室を営建した。庚戌、霸州処置司を廃した。秋七月甲寅朔、霖雨により潢・土斡拉・陰・涼の四河が皆溢れ民舎を漂没させた。八月甲申、北幸。冬十一月壬子朔、柴冊礼を行った。十二月乙酉、南幸。皇太后が不豫となった。戊子、大赦。辛卯、皇太后が行宮で崩じた。壬辰、使者を遣わし宋・夏・高麗に哀を報じた。戊申、中京に至る。己酉、千齢節の賀を免除するよう詔した。この歳、御前引試で劉二宜ら三人が及第。