統和八年(990年)
- 春正月辛巳、台湖に行幸。庚寅、滞獄を裁決させた。庚子、沈子楽に行幸。二月丁未朔、于闐・回鶻がそれぞれ使者を遣わし来貢。壬申、女直が使者を遣わし来貢。三月丁丑、李繼遷が使者を遣わし来貢。庚辰、太白・熒惑が闘い凡そ十五次に及んだ。乙酉、杏堝に城を築き宋の捕虜を実とした。辛丑、宜州を置いた。夏四月丙午朔、厳州刺史李夀英が善政により民に留任を請われた。庚戌、女直が使者を遣わし来貢。庚午、旱により諸部の艱食を賑した。五月戊子、宋の降卒を諸軍に分隷。庚寅、女直の宰相阿海が来貢し順化王に封じられた。丙申、呼図哩巴山で清暑。詔して民田を括した。六月丙午、北面林牙穆爾古を北院大王とし、阿爾斯蘭回鶻裕悦達爾罕が使者を遣わし来貢。甲寅、月が天駟第一星を掩した。丙辰、女直が使者を遣わし来貢。
- 秋七月庚辰、南京の熊軍を神軍と改めた。詔して東京路諸宮分の提轄司を定霸・保和・宣化の三県、白川州を洪理・儀坤州を広義・遼西州を長慶・乾州を安徳の各一県に分置し、遂・媯・松・饒・寧海・瑞・玉・特哩・奉徳等十州及び玉田・遼豊・松山・𢎞逺・懐清・雲龍・平澤・平山等八県を省いてその民を他郡に分隷した。八月乙卯、黒白羊で天地を祭った。九月乙亥、北女直四部が内附を請う。壬辰、李繼遷が宋の捕虜を献じた。冬十月丙午、宋軍を破ったことを再び使者を遣わし告げさせた。己酉、準布らが使者を遣わし来貢。この月、大王州に駐蹕。十一月庚寅、吐谷渾の民の饑を賑した。丁酉、太白が昼に見えた。十二月癸夘、李繼遷が宋の麟・鄜等州を下したと使者を遣わし告げ、女直も使者を遣わし来貢。庚戌、使者を遣わし李繼遷を夏国王に封じた。癸丑、回鶻が来貢。この歳、鄭雲従ら二人が及第。
統和九年(991年)
- 春正月甲戌、女直が使者を遣わし来貢。丙子、詔して私に僧尼を出家させることを禁じた。庚辰、台湖に行幸。乙酉、樞宻使監修国史室昉らが実録を進上、物を賜った。戊子、宋の降卒五百人を選び宣力軍とした。辛夘、詔して三京諸道の租賦を免除し括田も罷めた。二月丙午、夏国が伐宋の捷を告げに使者を遣わした。丁未、涿州刺史耶律旺禄を特哩衮とした。甲子、威寇・振化・来逺の三城を築き屯戍卒を置いた。閏月辛未朔、日食があった。壬申、翰林承㫖邢抱朴・三司使李嗣・給事中劉京・政事舎人張幹・南京副留守呉浩を遣わし諸道の滞獄を分決させた。三月庚子、室韋・烏爾古の諸部を賑した。戊申、また庫部員外郎馬守琪・倉部員外郎祁正・虞部員外郎崔祐・薊北県令崔簡らを遣わし諸道の滞獄を分決させた。甲子、南京に行幸。夏四月甲戌、回鶻が来貢。乙亥、夏国王李繼遷が杜白を遣わし封冊を謝した。丙戌、炭山で清暑。五月己未、秦王韓匡嗣の私城を全州とした。六月丁亥、突厥が来貢。この月、南京で霖雨が稼を傷めた。
- 秋七月癸夘、戸口を通括した。乙巳、諸道に才行を挙げ貪酷を察し高年を撫し、王事に殉じた者は子孫に官を与えるよう詔した。己未、夏国が綏・銀二州回復を告げに使者を遣わした。八月癸酉、銅州で嘉禾が生じ、東京で甘露が降った。戊寅、女直が唤鹿人を進上。壬午、東京が三足烏を進上。九月庚子、布古徳が来貢。己酉、廟城に駐蹕、南京で地震。冬十月丁夘、阿爾斯蘭回鶻が来貢。壬申、夏国王李繼遷が宋から授かった勅命を使者を遣わし上げた。丁丑、定難軍節度使李繼捧が来附し、推忠効順啓聖定難功臣・開府儀同三司・検校太師兼侍中・西平王に封じた。十一月己亥、青牛白馬で天地を祭った。十二月、夏国王李繼遷が密かに宋に附したため招討使韓徳威に詔を持たせ諭させた。この歳、進士石用中一人が及第。
統和十年(992年)
- 春正月丁酉、喪葬の礼で馬を殺し甲冑・金銀器玩を蔵することを禁じた。丙午、台湖に行幸。二月乙丑朔、日食があった。韓徳威が奏上、李繼遷は病と称して出ず、霊州まで至り俘掠して還った。壬申、烏舎が来貢。壬午、雲州の租賦を免除。庚寅、夏国が韓徳威の俘掠につき使者を遣わし奏したため詔で安慰した。辛夘、雲州の流民に免税三年を給した。三月甲辰、鉄驪が来貢。丙辰、炭山に行幸。夏四月乙丑、台湖を望幸里とした。庚寅、群臣を会して較射させた。五月癸巳朔、朔州流民に免税三年を給した。七月辛酉、鉄驪が来貢。八月癸亥、稼を観、使者を分遣し苗稼を閲させた。九月癸夘、五台山金河寺に行幸し僧に飯した。冬十月壬申、夏国王が使者を遣わし来貢。戊寅、鉄驪が来貢。十一月壬辰、回鶻が来貢。十二月庚辰、儒州の東川で狩猟し天を拝した。この月、東京留守蕭恒徳らに高麗を討伐させた。
統和十一年(993年)
- 春三月壬寅、回鶻が来貢。丙午、内帑の銭を出し南京統軍司に賜った。高麗王治が朴良柔に表を奉じ罪を請い、詔して女直の鴨渌江東数百里の地を取りこれに賜った。二月癸亥、霸州の民妻王氏が妖術で民を惑わし誅に伏した。夏四月、炭山に行幸し清暑。六月大雨。秋七月己丑、桑乾・羊河が溢れ居庸関西の禾稼を害しほとんど尽き、奉聖・南京の居民は廬舎の多くが熱溺した。八月、秋山に行幸。冬十月甲申朔、富瑚坂に駐蹕。この歳、進士王熙載ら二人が及第。
統和十二年(994年)
- 春正月癸丑朔、漷隂鎮が水に漂溺し三十余村に及んだため旧渠の疏通を詔した。甲寅、同政事門下平章事耶律実埒を特哩衮とし、行在五十里内の租を免除。乙夘、延芳淀に行幸。戊午、宜州の賦調を蠲免。庚申、郎君耶律必舒らの謀叛が発覚し誅に伏した。壬戌、南院大王耶律景を上京留守とし漆水郡王に封じた。霸州の民李在宥は年百三十三に及び束帛錦袍銀帯を賜り月ごとに羊酒を給し家を復した。二月甲申、南京の水害戸の租賦を免除。己丑、高麗が来貢。甲午、諸部の歳輸の羊及び関征を免除。庚子、回鶻が来貢。三月丁巳、高麗が使者を遣わし俘人畜の返還を請い、詔して贖い還させた。戊午、南京に行幸。丙寅、使者を遣わし高麗を撫諭した。己巳、涿州で木が連理した。壬申、長春宮に行幸し牡丹を観た。この月、南京統軍都監を復置した。夏四月辛夘、南京に行幸。壬辰、樞密直学士劉恕を南院樞密副使とした。戊戌、景宗の石像が成り延夀寺に行幸し僧に飯した。五月甲寅、北皮室軍の老いて任事に堪えない者の役を免除。戊午、炭山に行幸し清暑。庚辰、武定軍節度使韓徳冲が秩満につき民に留任を請われた。
- 六月辛巳朔、州県の長吏で才能があり過ちのない者は一資考を減じて任用させるよう詔した。癸未、汗州刺史賈俊が新暦を進呈。庚子、囚を録した。甲辰、龍鳳両軍の老疾の者に代人を立てるよう詔した。この月、太白・歳星が相犯した。秋七月辛亥朔、日食があった。甲寅、諸道の禾稼を視察させた。辛酉、南院樞密使室昉を中京留守とし尚父を加えた。丙寅、女直が使者を遣わし来貢。戊辰、穫を観る。庚午、契丹人が十悪を犯した場合は漢律に依ると詔した。己夘、翰林承㫖邢抱朴を参知政事とした。八月庚辰朔、皇太妃に西北路烏爾古等部の兵及び永興宮分軍を領させ西辺を撫定させ、蕭達林にその軍事を督させた。乙酉、宋が使者を遣わし和を求めたが許さなかった。戊子、国舅帳の尅蕭図格を伊勒希巴とした。乙未、中外の官吏に戒諭を下した。丁酉、囚を録し雑犯死罪以下を釈放。九月壬子、室韋・党項・吐谷渾等が来貢。辛酉、宋が再び使者を遣わし和を求めたが許さなかった。壬戌、拝奥礼を行った。癸酉、凖布らが来貢。冬十月乙酉、汗州の西山で狩猟。乙巳、均税法を定めるよう詔した。丁未、大理寺に少卿及び正を置いた。十一月戊申朔、再生礼を行った。鉄驪が来貢。詔して諸部の捕虜の宋人に官吏・儒生や技能を持つ者があれば、諸道の軍で勇健の者もあわせて名を上申させた。庚戌、郡邑に明経茂材異等を挙げるよう詔した。甲寅、南京の滞獄を決するよう詔した。己未、宋の捕虜衛徳升ら六人に官を与えた。十二月戊寅朔、日食があった。奚王府の敖拉・托輝・瑪展の三部を一部に併せ、二尅はそれぞれ分けて六部の数を足すよう詔した。甲甲、南京統軍司の貧戸に耕牛を賜った。戊子、高麗が妓楽を進上したが却けた。庚寅、遊食の民を禁じた。癸巳、女直が宋人が海を浮んで本国及び烏舎に賂を送り叛くよう誘ったことを告げた。丁未、南京に行幸。この年、進士吕徳懋ら二人が及第。
統和十三年(995年)
- 春正月壬子、延芳淀に行幸。甲寅、広霊県を置いた。丁巳、泰州・遂城等県の賦を増した。庚申、諸道に勧農を詔した。癸亥、長寧軍節度使蕭嘉哩が秩満につき民に留任を請われた。庚午、長春宮に行幸。二月丁丑、女直が使者を遣わし来貢。甲辰、高麗が李周禎を遣わし来貢。三月癸丑、夏国が使者を遣わし来貢。戊辰、武清県の百余人が宋境に入り剽掠したため誅を命じ、獲た人畜財物を還した。夏四月己卯、参知政事邢抱朴が母の喪により去官したが起復させた。丙戌、統和以来脅従して部曲となった諸道の民戸は州県に籍するよう詔した。甲午、炭山に行幸し清暑。五月壬子、高麗が鷹を進上。乙亥、北南伊実三府が富民の馬を括し軍需に備えることを請うたが許さず官馬を給した。六月丙子朔、啓聖軍節度使劉継琛が秩満につき民に留任を請われた。丁丑、前歳に括した田の租賦を減じるよう詔した。甲申、宣徽使阿穆爾の私城を豊州とした。丙戌、昌平・懐柔等県の民に荒地の請業を許した。
- 秋七月乙巳朔、女直が使者を遣わし来貢。丁巳、烏舎・烏哲図・渤海・雅木丕勒らが鉄驪を侵したため奚王和碩鼐らを遣わし討たせた。壬戌、蔚朔等州の龍衛・威勝軍の更戌を詔した。八月丙子、夏国が使者を遣わし馬を進上。壬辰、山沢の祠宇・先哲の廟貎を修め時に祀るよう詔した。九月戊午、南京太学の生員が増えたため水磑荘一区を特賜した。丁卯、景宗及び皇太后の石像を延芳淀に奉安。冬十月乙亥、義倉を置いた。辛巳、回鶻が来貢。甲申、高麗が李知白を遣わし来貢。戊子、烏舎が帰款し詔して諭した。庚子、布古徳が来貢。十一月乙巳、阿爾斯蘭回鶻の使者が来貢。辛酉、使者を遣わし王治を高麗国王に冊立した。戊辰、高麗が童子十人を遣わし本国語を学ばせた。十二月己夘、鉄驪が使者を遣わし来貢。辛巳、夏国が敗宋を使者を遣わし告げた。この年、進士王用極ら二人が及第。
統和十四年(996年)
- 春正月己酉、潞河で漁をした。丁巳、三京及び諸州の税賦を蠲免。丙寅、夏国が使者を遣わし来貢。庚午、宣徽使阿穆爾の家奴閻貴を豊州刺史とした。二月庚寅、回鶻が使者を遣わし来貢。三月壬寅、高麗王治が表で婚を乞い、東京留守駙馬蕭恒徳の女を嫁がせることを許した。庚戌、高麗が再び童子十人を遣わし本国語を学ばせた。甲寅、韓徳威が党項討伐の捷を奏した。甲子、朔州の流民の安集を詔した。夏四月甲戌、東辺諸糺にそれぞれ都監を置いた。庚寅、炭山に行幸し清暑。己亥、大安山を掘り劉守光の蔵した銭を取った。この月、奚王和碩鼐・東京留守蕭恒徳ら五人が烏舎討伐に失敗し官を削られ諸部の令公から節度使に改められた。五月癸夘、参知政事邢抱朴に南京の滞獄を決させた。庚戌、朔州威勝軍の百七人が宋に叛入。六月辛未、炭山に行幸し清暑。鉄驪が来貢。乙酉、回鶻が来貢。己丑、高麗が使者を遣わし起居を問い、以後は時を定めず来る。秋七月戊午、回鶻等が来貢。閏月丁丑、五院部が穴地で得た金馬を進上。冬十月丙辰、劉遂に南京神武軍士の剣法を教えさせ袍帯錦幣を賜った。戊午、烏哲図が内附を乞う。十一月甲戌、諸軍官が非時に狩猟し農を妨げることを詔で禁じた。乙酉、景宗及び太后の石像を乾州に奉安。この月、回鶻阿爾斯蘭が子のために求婚したが許さなかった。十二月甲寅、南京道の新定税法が重すぎるとして減じた。甲子、達林が叛酋阿勒坦ら六十人を誘い斬り、蘭陵郡王に封じられ南京に行幸。この年、進士張儉ら三人が及第。
統和十五年(997年)
- 春正月庚午、延芳淀に行幸。丙子、河西党項の叛乱により韓徳威に討伐を詔した。庚辰、諸道に樹を植えるよう民に勧めることを詔した。癸未、烏舎の長武周が来降。戊子、女直が使者を遣わし来貢。己丑、南京の滞囚を決するよう詔した。乙未、流民の税を免除。二月丙申朔、長春宮に行幸。戊戌、品部の富民に銭を出させ貧民を贍わせた。庚子、梁門・遂城・泰州・北平の民を内地に徙した。丙午、夏国が使者を遣わし来貢。甲寅、皇太后に問安。丙辰、韓徳威が党項討伐の捷を奏した。丁巳、品部の曠地を民に耕種させるよう詔した。三月乙丑朔、党項が来貢。戊辰、濼州の荒地を民に耕させ十年租税を免除。己巳、夏国が宋兵を破り使者を遣わし告げた。己夘、夏国王李繼遷を西平王に封じた。壬午、宮分人戸を通括し南京の逋税及び義倉粟を免除。甲申、河西党項が内附を乞う。庚寅、烏舎烏哲図が地が遠いことを理由に歳時の鷹馬貂皮の進呈免除を乞い、生辰正旦の貢は旧のごとくとし他は免除するよう詔した。癸巳、宋主炅が崩じ子の恒が嗣位。甲午、皇太妃が西辺の捷を献じた。夏四月乙未朔、奚王部の歳貢の麕を罷めた。戊戌、囚を録した。壬寅、義倉粟を発し南京諸県の民を賑した。丙午、広徳軍節度使韓徳凝が善政により秩満で民に留任を請われた。己酉、南京に行幸。丁巳、太宗皇帝廟に致奠。己未、炭山に行幸し清暑。五月甲子、日食があった。己巳、平州の滞獄を決するよう詔した。この月、徳哷勒八部が詳衮を殺し叛いたが蕭達林が追撃し部族の半を獲た。六月丙申、鉄驪が来貢。壬子、夏国が使者を遣わし封冊を謝した。秋七月戊辰、党項が来貢。辛未、吐谷渾別部が馬を宋に鬻ぐことを禁じた。丙子、高麗が韓彦敬を遣わし越国公主の喪を弔った。辛卯、南京の疾決獄訟を詔した。八月丁酉、平地松林で狩猟。皇太后は「前聖に言あり、欲は縦にすべからず。吾が児は天下の主となり馳騁田猟する、万一銜橛の変あらば予に憂いを遺すのみ」と戒めた。九月丙寅、東辺の戍卒を罷めた。庚午、饒州に行幸し太祖廟に致奠。戊子、蕭達林が準布討伐の捷を奏した。冬十月壬辰朔、駞山に駐蹕。奚王諸部の貢物を罷めた。乙未、宿衛に時服を賜った。丁酉、諸山寺で濫りに僧尼を得度することを禁じた。戊戌、東京道の魚濼の禁を弛めた。戍申、上京の獄訟が繁冗であるとしてその主者を詰した。辛酉、囚を録した。十一月壬戌朔、囚を録した。丙戌、顕州に行幸。戊子、顕陵に謁した。庚寅、乾陵に謁した。この月、高麗王治が薨じ姪の誦が王同潁を遣わし告げた。十二月乙巳、土河で釣魚。己酉、駞山に駐蹕。壬子、夏国が使者を遣わし来貢。甲寅、使者を遣わし高麗王治を祭り、その姪に権知国事を詔した。丙辰、囚を録した。この年、進士陳鼎ら二人が及第。