列女傳卷七 晉獻驪姬

出自と生い立ち

  • 驪姫は驪戎の娘で、晋の献公の夫人である。はじめ献公は斉から夫人を娶り秦の穆公夫人と太子申生を生み、また戎から二人の娘を娶り公子重耳・夷吾を生んだ。献公は驪戎を討って勝ち、驪姫を得て連れ帰り、奚斉・卓子を生んだ。驪姫は献公の寵愛を受け、斉姜が先に死ぬと献公は驪姫を夫人に立てた。

太子申生らを遠ざける謀

  • 驪姫は奚斉を立てようと望み、弟と謀って「ある朝廷にいないとき、刃を用いれば太子と二人の公子を退けられる」と考えた。そこで献公に「曲沃は君の宗邑、蒲と二屈は君の境です。主のない宗邑では民は辺境を畏れず、主のない境では外寇の心を招きます。外寇の心が生じ民が政治を侮れば国の患いとなります。太子に曲沃を、二公子に蒲と二屈を治めさせれば民に威を示し外寇を懼れさせられましょう」と説き、太子は曲沃に、重耳は蒲に、夷吾は二屈に住まわせられた。

申生の死

  • 太子を遠ざけた驪姫は夜な夜な泣き、理由を問う献公に「申生は仁を好み民に寛く慈しみ深いと聞きます。しかし世は君が私に惑い国を乱すと言っており、民のために君に強いる恐れがあります。君が命を終える前に亡くなれば、どうなさいますか。私を殺し一妾が百姓を乱すことのないようになさいませ」と答えた。献公が「民を恵んで父を恵まないことがあろうか」と言うと、驪姫は「民のためと父のためとは異なります。君を殺して民を利すれば、民は誰もが喜んで戴くでしょう。父を利し寵を得て乱を除けば人は喜びます。愛する君であっても、その念には勝てません。もし紂に良い子がいて先に紂を殺していれば、その悪は表に出ず、死は同じでも武王の手を借りずに済んだでしょう。わが先君武公が翼を併合し、楚の穆王が成王を弑した例もあります。皆、民のためと言って親を顧みなかったのです。君が早く図らねば禍はやがて及びましょう」と述べた。献公は恐れて「どうすればよいか」と問い、驪姫は「君は年老いたとして太子に政を譲ってはいかがですか。彼が政を得て治めれば、あるいは君を放免するでしょう」と言った。献公は「それはできぬ、別に図ろう」と答えたが、これより太子を疑うようになった。
  • 驪姫は人を遣り献公の命と偽って太子に「君は斉姜の夢を見た。急ぎ曲沃で祭りをせよ」と告げさせた。申生は曲沃で祭りをし、供物の福(お下がりの肉)を絳に届けたが、献公が狩りに出て不在であったため驪姫が受け取り、酒に鴆毒を、肉に毒を仕込んだ。献公が戻り申生を召して供物を賜ろうとすると、驪姫は「外から来た物ですから試さねばなりません」と言い、酒を地に注ぐと地が盛り上がり、申生は恐れて退出した。犬に与えると犬は死に、小臣に飲ませると小臣も死んだ。
  • 驪姫は天を仰ぎ胸を叩いて泣き、申生に会うと「ああ、この国はあなたの国なのに、なぜ君となるのを遅らせるのですか。父の恩さえ忍んで害するなら、まして国人はどうでしょう。父を弑して利を求めても、誰がそれを利とするでしょうか」と泣いて訴えた。献公は人を遣り太子に「そなたが図れ」と伝えさせた。太傅の里克は「太子が入朝して自ら明かせば生きられます。さもなくば生きられません」と言ったが、太子は「わが君はすでに老いておられる。もし入朝して自ら明かせば驪姫は死に、君は心安らかではいられまい」と答え、ついに新城の廟で自ら首をくくって死んだ。献公はさらに少傅杜原款を殺し、閹楚に命じて重耳を刺させたが重耳は狄に逃げ、賈華に命じて夷吾を刺させたが夷吾は梁に逃げた。すべての公子を追放し、奚斉を太子に立てた。

晋の乱と収束

  • 献公が没すると奚斉が立ったが里克に殺され、卓子が立ったがまた殺された。驪姫も鞭打たれて殺された。秦は夷吾を立て恵公とした。恵公が死ぬと子の圉が立ち懐公となったが、晋人は高梁で懐公を殺し、重耳を立てた。これが文公である。乱は五代に及んでようやく治まった。
  • 『詩経』に「婦人の長い舌は、災いの元である」また「賢しらな婦人は城を傾ける」とあるのは、この驪姫のことをいう。

史論

  • 頌に曰く、継母の驪姫は晋の献公を惑わし乱した。太子を讒言する謀をめぐらせ、毒酒を権謀とした。ついに申生を弑し、公子たちは出奔した。驪姫自身も罪に伏し、五代にわたり乱と昏迷が続いた、という。