息子の謀反で母が処罰されようとする
- 趙の佛肸の母は、趙の中牟の宰である佛肸の母である。佛肸は中牟を挙げて叛いた。趙の法では、城をもって叛いた者は本人は死罪、家族は連座して収監されると定められていた。母は処罰されようとした際、「私が死罪に当たるのは道理に合わない」と自ら申し立てた。役人がその理由を尋ねると、母は「主君に取り次いでもらえれば申し上げるが、そうでなければ黙って死ぬだけだ」と答えた。役人が趙襄子に伝え、襄子が出て理由を問うと、母は「主君に直接お会いしなければ申し上げません」と述べた。
母の申し立て――子の反逆は母の罪か
- そこで襄子が自ら会って「死罪に当たらないとはどういうことか」と問うと、母は「私が死罪に当たるとはどういうことでしょう」と問い返した。襄子が「お前の子が叛いたからだ」と言うと、母は「子が叛いたからといって、母がなぜ死罪に当たるのですか」と問うた。襄子が「母が子を教え導けなかったために謀反に至らせたのだから、母に罪がないはずがない」と言うと、母は反論した。
- 母は「主君は私を殺すのに理由があるとお思いのようですが、それは母に教えがなかったということでしょうか。私の務めはずっと以前に終えております。それは今や主君の側にあることなのです。子が幼いうちに慢心すれば母の罪、成長して用いることができなければ父の罪と聞いております。今、私の子は幼い頃に慢心せず、成長してからは人を用いる力を備えておりました。私に何の落ち度がありましょう」と述べた。
- さらに「子は幼いうちは子であり、成長すれば友となり、夫が死ねば子に従うものです。私は君のために長子を育て上げ、君自らこれを選んで臣としたのです。私の子はいま処断の対象とされていますが、これは君の臣であって、私の子ではありません。君に暴れる臣がいたとしても、私に暴れる子はおりません。それゆえ私に罪はないと申し上げるのです」と述べた。
襄子が非を認め赦免する
- 襄子は「善い。佛肸の謀反は、私の過ちである」と述べ、母を釈放した。君子は「佛肸の母は一言で襄子の心を開かせ、怒りを他に移さない徳を行わせて、自らの身を免れた」と評した。
史論
- 『詩経』に「すでに君子にまみえたので、私の心は打ち明けられた」とあるが、まさにこのことである。
- 頌に曰く、佛肸がすでに叛いたとき、その母は道理を尽くして自らを任じた。処断されようとする段になって襄子に自ら申し立て、母としての務めを述べ立て、子は成人して君に仕えていたと説いた。襄子はこれに納得し、ついに罪を許して問わなかった、という。