列女傳卷六 趙津女娟

渡し守が酔い潰れ趙簡子が激怒

  • 趙津の女娟は、趙の河の渡し守の娘で、のちに趙簡子の夫人となった。かつて簡子が南方の楚を攻めるにあたり、渡し守と渡河の約束をしていたが、簡子が到着すると渡し守は酔って寝込み渡せなかった。簡子は怒って殺そうとした。娟は恐れて楫を持って駆けつけた。簡子が「女子が何をしに来たのか」と問うと、娟は「渡し守の娘でございます。父は主君が測り知れない大河を渡ると聞き、風波が起こり水神が荒れることを恐れて九江三淮の神を祀り、供え物を整えて福を求めました。祈祷の酒を過ごしてこのようになったのです。君が殺そうとなさるなら、私のこの身をもって父の死に代えたく存じます」と述べた。

娟の弁明と請願

  • 簡子は「お前の罪ではない」と答えたが、娟は「主君が父の酔いに乗じて殺そうとなさるなら、その身は痛みを知らず、心も罪を知らないままとなりましょう。罪を知らぬまま殺すのは、罪なき者を殺すのと同じです。どうか酔いが醒めてから殺し、その罪を知らしめてください」と願った。簡子は「善い」と言い、罪を許して誅さなかった。
  • 簡子が渡ろうとすると楫を取る者が一人足りず、娟は袖をまくり楫を手に「私は河や済水のほとりに住み、代々舟や楫のことに習熟しております。どうか一員に加えてください」と願い出た。簡子は「私はこれから出征する。士大夫を選び斎戒沐浴して臨むのが道理であり、婦人と同じ舟で渡るわけにはいかない」と答えた。娟は、湯王が夏を伐った際も武王が殷を伐った際も、右驂・左驂に牝馬を用いてなお天下を得たことを引き、「主君が渡らないというならともかく、私と同舟したところで何の障りがありましょう」と述べた。

簡子が娟を夫人に迎える

  • 簡子は喜んでともに渡り、川の中程で娟は「河激の歌」を作って歌った。歌詞は、丘に登って清らかな水を眺めるさま、波が立ち暗く陰るさま、福を祈ったのに酔いから醒めなかったこと、誅殺が加えられようとした心の驚き、罰が解かれて濁りが清まったこと、楫を操り舟の綱を取ること、蛟龍が助けて主君が帰る様、櫂を呼び進むことをためらわぬさま、を歌ったものであった。
  • 簡子は大いに喜び、「かつて私は妻を娶る夢を見たが、まさかこの女がそうであったとは」と言い、人に命じて祓い清め夫人にしようとした。娟は再拝して辞し、「夫婦の礼は媒酌を経なければ嫁ぎません。厳父が在ります以上、その命を受けることはできません」と述べて辞去した。簡子は帰ると娟の父母に幣(結納)を納め、正式に夫人として立てた。君子は「女娟は事理に通じ言葉に長けていた」と評した。

史論

  • 『詩経』に「来て遊び来て歌い、その声を述べる」とあるが、まさにこのことである。
  • 頌に曰く、趙簡子が河を渡ろうとした際、渡し守は酔って荒れ、簡子が誅殺しようとすると、娟は恐れ楫を取って進み出て説き、父を死なせずに済ませた。長らく隠していた思いも遂には明らかとなり、ついに世に発揚された、という。