布を盗まれ王に訴える
- 楚の大夫江乙の母である。恭王の時、江乙は郢の大夫であったが、王宮に盗みに入った者があり、令尹はその罪を江乙に負わせ、王に願い出て彼を退けさせた。それからほどなく、母は布八尋を盗まれ、王のもとに赴いて「私は夜、布八尋を失いました。令尹がこれを盗んだのです」と訴えた。王はちょうど小曲の台にいて、令尹も傍らに侍っていた。王は「令尹が本当にお前の布を盗んだのなら、私はその富貴を憚らず法を行う。もし盗んでいないのに誣告したのなら、楚国には定まった法がある」と述べた。
令尹の失政を指摘する
- 母は「令尹が自ら盗んだのではなく、人を使って盗ませたのです」と答えた。王が「どうして人を使って盗ませたと言えるのか」と問うと、母は「かつて孫叔敖が令尹であったころは、道に落ちている物を拾う者もなく、門を閉ざす必要もなく、盗賊は自然に絶えました。今の令尹の治世は、耳目が行き届かず盗賊が公然とはびこっています。だからこそ盗人が私の布を盗むことができたのです。これは人を使って盗ませたのと何が違いましょう」と答えた。
- 王が「令尹は上に、盗賊は下にいる。令尹に何の罪があろうか」と問うと、母は「大王のお言葉こそ誤りです。先に私の子が郢の大夫であったとき、王宮の物を盗まれた者があり、私の子はそのために座して退けられました。子とてそれを知らなかったはずですが、それでも咎めを受けたのです。令尹だけがどうして咎めを免れるのでしょう。かつて周の武王は『百姓に過ちがあれば、その責めは私一人にある』と言いました。上の者が明らかでなければ下は治まらず、宰相が賢でなければ国は安らかではありません。『国に人がない』というのは人材がいないのではなく、これを治める道理のある人がいないということです。王はどうかお察しください」と答えた。
王が江乙を復職させる
- 王は「善い。お前の言葉は令尹だけでなく私をも諫めるものだ」と述べ、役人に母への弁償を命じ、金十鎰を賜った。母はこれを辞退し、「私が財貨を貪って大王に迫ったのではありません。ただ令尹の治世を憂えたまでのことです」と述べて受け取らず去った。王は「母がこれほど賢いのなら、その子も愚かではあるまい」と言い、江乙を再び召し出して用いた。君子は「江乙の母は巧みなたとえで諫めることができた」と評した。
史論
- 『詩経』に「計略はまだ遠く及ばぬからこそ、こうして大いに諫めるのだ」とあるが、まさにこのことである。
- 頌に曰く、江乙が官を失ったとき、母はこれを深く憂え、家に帰るとすぐ布八尋を失ったと訴え出た。令尹の治世を指摘するその言葉は筋道立っており、王は再び江乙を用い、母に金と布を賜った、という。