列女傳卷五 魏節乳母

秦による魏滅亡と公子の逃亡

  • 魏節乳母は魏の公子の乳母である。秦が魏を攻めて破り、魏王瑕を殺して諸公子を誅殺したが、一人の公子だけが捕らえられなかった。秦は魏国に「公子を得た者には金千鎰を賜う。匿った者は一族皆殺しにする」と令した。
  • 乳母はその公子とともに逃げ隠れた。魏の旧臣が乳母を見つけて「乳母、無事であったか。公子は今どこにいるのか。秦の令に『公子を得れば千金、匿えば一族誅殺』とある。教えれば千金を得られるが、知りながら黙っていれば兄弟も無事では済まぬぞ」と迫った。乳母は「公子の居場所は知らぬ」と答えたが、旧臣は「公子と共に逃げたと聞いている」と重ねて言った。

乳母の拒絶と最期

  • 乳母は「たとえ知っていても言えるものではない」と答えた。旧臣が「魏国はすでに滅び、一族もすでに滅んだ。今さら誰のために匿うのか」と問うと、乳母は「利を見て主君に背くのは逆、死を畏れて義を捨てるのは乱です。逆と乱を行って利を求めることは私にはできません。そもそも人の子を養う者は、その子を生かすためであって殺すためではありません。賞欲しさや誅罰を畏れて正義を捨て逆の道を行うことなどできましょうか。私は生きたまま公子を捕らえさせることなどいたしません」と述べ、公子を抱いて深い沢の中に逃げ込んだ。
  • 旧臣がこれを秦軍に告げ、秦軍が追いつくと、争って矢を射かけた。乳母は自らの身で公子をかばい、身に数十本の矢を受けて公子とともに死んだ。秦王はこれを聞き、忠義に殉じたことを貴んで卿の礼で葬らせ、太牢の祭祀を行わせ、乳母の兄には五大夫の位を与えて金百鎰を賜った。

史論

  • 君子は節乳母を「慈しみ深く敦厚で、義を重んじ財を軽んじた」と評した。礼では、幼子のために宮中に部屋を設け、諸母や乳母を選ぶ際には寛仁慈恵で温良恭敬、慎み言葉少ない者を求め、まず子の師とし、次に慈母、次に保母とし、皆その子の部屋に住まわせて養い育てさせるとされ、他人はみだりに立ち入ることを許されない。慈しみあればこそ愛することができ、乳飲み子を育てる犬は虎に立ち向かい、卵を抱く鶏は狸に立ち向かう。これは心の底から出た恩情である。『詩経』に「行き倒れた死人があれば、誰かがこれを埋めてやるものだ」とあるのはこのことをいう。
  • 頌に曰く、秦は魏を滅ぼした後、その子孫に懸賞をかけたが、公子の乳母は公子とともに逃げ隠れ、節を守り仕事を全うして利のために節を曲げず、ついに死をも顧みず、その名は後世に顕彰された、という。