列女傳卷五 楚成鄭瞀

出自と入宮

  • 鄭瞀は鄭女の媵(付き添いの侍女)として楚に嫁ぎ、後に楚の成王の夫人となった女性である。
  • ある日、成王が高台に登り後宮を見下ろすと、宮女たちはこぞって目を向けたが、子瞀(鄭瞀)だけはまっすぐ歩み顧みなかった。王が「振り向け」と命じても顧みず、「振り向けば夫人にしよう」と言われても顧みず、「千金と父兄への封も与える」と言われてもなお顧みなかった。
  • 王が台から下りて理由を問うと、子瞀は「婦人は端正な顔つきを保つべきもの。大王が台上にいらっしゃるうちに振り向けば礼を失います。夫人の地位や封爵の重さを示された後に振り向くのは、利を貪って義理を忘れることになります」と答えた。王はこれを善しとし、夫人に立てた。

太子廃立への諫言

  • 一年余り後、王は公子商臣を太子に立てようとし、令尹子上に諮った。子上は「王はまだ齢若く、寵愛する子も多い。太子を立てて後に廃せば必ず乱が起きます。商臣は蜂の目に豺の声を持つ、忍びない人物ゆえ立てるべきではありません」と答えた。
  • 王がこれを夫人子瞀に告げると、子瞀は「子上の言葉は信じるに足ります」と述べたが、王は聞き入れず商臣を太子に立てた。
  • その後商臣は、子上が蔡を救った一件にかこつけて子上を讒言し、殺させた。子瞀は保母に「子上は太子を立てるべきでないと諫めて怨みを買い、讒言により殺された。王は明察せず罪なき者を罰した。是非が転倒し、上下の秩序が乱れている。寵愛する公子が多く皆国を望み、太子は貪欲で忍びなく、その地位を失うことを恐れている。禍乱が必ず起こるだろう」と語った。

太子廃立の危機と自死

  • 後に王は商臣の庶弟である公子職を立てようとした。子瞀は保母に「信を疑われずにいた者が、今や職に代えられようとしている。私が王に諫めても聞き入れられぬなら、太子は私を自分の子でないと疑い、讒言したと思うだろう。疑われて生きるより、死して潔白を示す方がよい。王も私の死を聞けば太子を廃してはならぬと悟るだろう」と述べ、自殺した。保母がこの言葉を王に伝えた。
  • 折しも太子は王が自分を廃そうとしていることを知り、兵を挙げて王宮を囲んだ。王は熊の掌の料理を求めたが与えられず、自ら首を吊って死んだ。

史論

  • 君子は「至仁の人でなければ、身をもって誡めとすることはできない」と評した。『詩経』に「命を捨てても節を変えぬ」とあるのは、このことを言う。
  • 頌に曰く、子瞀は先んじて事を見抜き節を守り続け、志を貫いて成王の妃となった。商臣の乱を見抜いて強くこれを諫めたが、疑われることを恐れて自らの命をもって誓いとした、という。