出自と経緯
- 孝義保は、魯の孝公稱の乳母で、臧氏の寡婦である。かつて魯の武公には長子の括と次子の戲がいた。二人が周の宣王に朝見した際、宣王は戲を魯の太子に立てた。
- 武公が没して戲が立ち、懿公となった。このとき孝公はまだ公子稱と呼ばれる幼子であった。義保は自分の子とともに宮中に入り、公子稱を養育した。
政変と身代わり
- 括の子の伯御が魯の人々とともに乱を起こし、懿公を攻め殺して自ら立った。伯御は宮中に公子稱を捜し、殺そうとした。
- 義保はこれを聞き、わが子に稱の衣を着せて稱の寝所に臥せた。伯御はその子を稱と思って殺した。義保はその隙に稱を抱いて宮を脱出した。
- 宮の外で稱の伯父にあたる魯の大夫に出会う。「稱は死んだか」と問われ、義保は「死んでおりません。ここにおります」と答えた。「どうやって免れたのか」と問われると、「わが子を身代わりにしました」と答え、そのまま稱を連れて逃げた。
孝公の即位
- 十一年の後、魯の大夫たちは皆、稱が義保のもとに生きていることを知り、周の天子に願い出て伯御を誅殺させ、稱を立てて孝公とした。魯の人々はこの義保を高く評価した。
史論
- 『論語』に「六尺の孤(幼い遺児)を託すことができる」とあるのは、まさに義保のことを言うのである。
- 頌に曰く、伯御の乱は魯の宮中から起こったが、孝公の乳母である臧氏の母は、孝公を隠し我が子と入れ替え、これほどの乳母の忠義は真に頼みとするに足るものであった、という。