嫁ぎ先をめぐる進言
- 許穆夫人は衛の懿公の娘で、許の穆公の夫人である。はじめ許がこれを求め、斉もまた求めたので、懿公は許に嫁がせようとした。
- 許女は乳母を通じて「昔から諸侯の娘は、贈り物として大国との縁を結ぶものです。今、許は小さく遠く、斉は大きく近い。今の世は強い者が雄となります。もし国境に外敵の事があれば、四方への使いとして、私が斉にいる方がまだましではありませんか。近きを捨てて遠きに就き、大国を離れて小国に付くのでは、いざ戦車が駆ける難事が起きたとき、誰と社稷を図れましょう」と述べた。
- 衛侯はこれを聞き入れず、許に嫁がせた。
- のちに翟人が衛を攻めて大いに破り、許は救うことができず、衛侯は河を渡って逃げ、南の楚丘に至った。斉の桓公が赴いて助け、楚丘に城を築いて居させた。衛侯はそこで娘の言葉を用いなかったことを悔いた。
- 衛が敗れたとき、許夫人は馳せ参じて弔問しようとしたが、衛侯はこれを不快に思ったため、夫人は『詩経』載馳の詩を作った。「馬を馳せ車を駆り、帰って衛侯を弔おう。馬は悠々と進み、漕の地に至る。大夫たちは苦労して駆けつけたが、私の心は憂いに満ちている。私を良しとしないなら、引き返すこともできない。あなた方は私を正しくないと見るが、私の思いは浅くはない」という内容である。
- 君子はその情け深さと先を見通す聡明さを称えた。
史論
- 頌に曰く、衛の娘はまだ嫁がぬうちに、許と斉のいずれに嫁ぐかを図られた。娘は乳母を通じて「斉の方が頼るに足る」と説いたが、衛君は聞き入れず、のちに果たして衛は逃げ惑う事態となり、許は救うことができなかったので、娘は載馳の詩を作った、という。