列女傳卷一 齊女傅母

出自と諫め

  • 傅母は斉の女、のちに衛の荘公夫人となった荘姜の傅母(養育係)である。荘姜が衛に嫁いだ当初、行いがだらしなく、艶めかしい容姿を好み、みだりがましい心があった。
  • 傅母は荘姜の婦道が正しくないのを見て、「あなたの家は代々尊く栄え、民の模範となるべき家柄です。あなたの資質は聡明で物事に通じており、人々の手本となるべきです。容姿は端麗であるのに、身を修め整えないのはなりません。錦を着て単衣を重ねるような着飾りや、車馬の飾りに気を取られるのは、徳を貴ばないことです」と諭した。

詩を作って戒める

  • 傅母は「碩人(美しい人)はすらりとしている、錦の衣に単衣を重ね、斉侯の娘、衛侯の妻、東宮の妹、邢侯の姨、譚公の妻の妹である」という詩を作り、荘姜の心を高い節義で研ぎ澄ませ、国君の子弟・国君の夫人たる者は特に邪な行いがあってはならないと戒めた。荘姜は感じ入って自ら身を修めた。君子は傅母が事の起こる前に防いだことを称えた。

荘姜のその後

  • 荘姜は東宮得臣の妹で、子がなかった。戴媯の子・桓公を養子として育てたが、公子州吁は寵愛された側女の子で驕り高ぶり兵を好んだが、荘公はこれを禁じなかった。のちに州吁は桓公を殺した。『詩経』に「猿に木登りを教えるな」とあるのはこのことを言う。

史論

  • 頌に曰く、斉女の傅母は、事が起こる前に女を戒め、先祖代々の尊栄を説いて、その名を辱めぬようにさせた。詩を作って明らかに指し示し、荘姜は姆妹(傅母と荘姜)ともに、ついに身を修めることができた、という。