大姜
- 三母とは大姜・大任・大姒の三人。大姜は王季の母で、有台氏の娘。大王(古公亶父)が娶って妃とし、大伯・仲雍・王季を産んだ。貞淑で従順に導き、過失がなかった。大王が事を謀り遷都する際も、必ず大姜が関わった。君子は大姜の徳教が広く行き届いていたと評した。
大任と胎教
- 大任は文王の母で、摯任氏の次女。王季が娶って妃とした。性質は端正誠実で、徳を専らに行った。妊娠中は醜い色を見ず、淫らな音を聞かず、放埒な言葉を口にせず、胎教を実践した。厠でさえ姿勢を正して文王を産んだ。
- 文王は生まれつき聡明で、大任の教えにより一を聞いて百を知るほどとなり、ついに周の宗主となった。君子は大任が胎教をよく行えたと評した。
- 古の妊婦の心得として、横向きに寝ず、端に座らず、片足で立たず、不正な味を食べず、切り方が正しくない肉は食べず、席が正しくなければ座らず、邪な色を見ず、淫らな音を聞かず、夜は楽官に詩を誦させ正しい事柄を語らせた、という規範が伝えられる。こうすれば生まれる子は容姿端正で才徳が人並み外れるとされ、感じるものが善であれば善が、悪であれば悪が子に及ぶとされた。文王の母はこの道理をよく体得していたと言える。
大姒
- 大姒は武王の母で、禹の子孫にあたる有莘姒氏の娘。仁があり道理に明るかった。文王はこれを喜び、渭水のほとりに自ら迎えに行き、舟をつなげて橋とした。
- 嫁いだ後、大姒は大姜・大任を慕い、朝夕勤め励んで婦道を尽くした。文母と号され、文王が外を治め、文母が内を治めた。
- 大姒は十人の男子を産んだ。長子伯邑考、次に武王発、周公旦、管叔鮮、蔡叔度、曹叔振鐸、霍叔武、成叔処、康叔封、聃季載である。大姒は少年の頃から成人に至るまで邪な行いを一切見せぬよう十子を教え諭し、成長すると文王がさらに教えを継いで、武王・周公の徳を成し遂げさせた。
- 君子は大姒が仁明で徳があると評した。
史論
- 『詩経』に「大邦に子あり、天の妹のごとし、文王がその吉祥を定め、渭水に自ら迎え、舟をつなげて橋とした、その光は輝かしい」「大姒はその美名を継ぎ、百人の男子を得た」とあるのはこのことを言う。
- 頌に曰く、周室の三母、大姜・大任・大姒があってこそ、文王・武王の興隆があった。とりわけ大姒は最も賢く、文母と号された。三人の徳はまことに大きいものであった、という。