出自と受胎の異譚
- 棄の母姜嫄は邰侯の娘。堯の時代、巨人の足跡を見て興味からこれを踏むと身ごもり、しだいに腹が大きくなった。不審に思い、卜筮・禋祀を行って子のないことを願ったが、結局子を産んだ。
- 不吉として狭い路地に棄てたが、牛馬はこれを避けて踏まなかった。林の中に移すと、木を伐りに来た者たちが子を拾い上げて覆い守った。さらに氷上に置くと、鳥が翼で覆い温めた。姜嫄はこれを異とし、連れ帰って育て、「棄」と名づけた。
教育と后稷への任官
- 姜嫄の性質は清らかで一途、農作を好み、棄が成長すると桑や麻の栽培を教えた。棄も生まれつき聡明で仁があり、母の教えをよく受け継ぎ、名を成した。
- 堯は棄を稷官とし、邰の地を国として与え、后稷と号させた。堯の崩御後、舜が即位すると「棄よ、民は飢えに苦しんでいる。汝は稷官として百穀の種を播け」と命じた。
- その子孫は代々稷官を継ぎ、周の文王・武王に至って天子として興った。
史論
- 君子は「姜嫄は静かで感化の力があった」と評した。『詩経』に「赫赫たる姜嫄、その徳は偏らず、上帝はこれに依る」「文なる后稷を思う、天によく配し、我が民を立てた」とあるのはこのことを言う。
- 頌に曰く、姜嫄は清らかで一途な性質であり、足跡を踏んで身ごもり、野に棄てることを恐れたが、鳥獣がこれを覆い守ったので連れ帰って育てた。ついに帝の輔佐となる子を得て、母としての道を全うした、という。