出自
- 有虞二妃は帝堯の二人の娘で、姉を娥皇、妹を女英という。
- 舜の父は頑迷、母は不明理な人物で、父は瞽叟と号し、弟は象といった。象は放埒で驕っていたが、舜はよく彼らを和らげ、瞽叟には孝を尽くして仕えた。母は舜を憎み象を愛したが、舜は内心を乱さず誠実であった。
- 四嶽が舜を堯に推挙し、堯は二人の娘を舜に嫁がせて内面の徳を見極めようとした。二人は天子の娘という身分を鼻にかけず、田畑で舜に仕え、謙虚に婦道を尽くした。
舜への迫害と二妃の助け
- 瞽叟と象は舜を殺そうと謀った。倉の修理を命じられた舜が二妃に相談すると、二妃は「行きなさい」と勧め、舜は策を講じて梯子を外させ、瞽叟が倉に火を放った際も飛び降りて逃れた。
- 象はさらに井戸浚いをさせるよう仕向けたが、舜は二妃の助言に従い、出入口に細工をして井戸の底から脱出した。
- 瞽叟はなお舜に酒を勧めて酔わせ殺そうとしたが、二妃が薬湯を用意して備えさせたため、舜は終日飲んでも酔わなかった。
- 舜の妹の繫は舜を憐れみ、二人の嫂(二妃)ともよく調和した。舜は父母に殺されかけても恨まず、田で天を仰ぎ号泣して父母を慕い続け、弟を恨むこともなかった。
即位とその後
- 舜は百官の統括や四方の賓客の応対、山林での試練など堯の様々な試練を経る間、常に二妃に相談していた。
- 舜が天子の位を継ぐと、娥皇は后、女英は妃となった。象は有庳に封じられ、舜は瞽叟に初めと変わらず仕えた。天下は二妃の聡明貞淑を称えた。
- 舜は南方巡狩の途上、蒼梧で没し、重華と号された。二妃は江水・湘水の間で没し、俗に湘君と呼ばれるようになった。
史論
- 君子は「二妃は徳が純粋で行いが篤い」と評した。『詩経』に「顕(あき)らかならざれど徳あり、諸侯みなこれに則る」とあるのはこのことを言う。
- 頌に曰く、二妃はもともと堯の娘でありながら虞に嫁いで舜に仕え、身分の尊さを忘れて労苦をいとわなかった。それゆえ瞽叟との関係も和らぎ、ついに幸福を享受するに至った、という。