南史卷七十一 列傳第六十一 沈不害
五礼儀の編纂
- 沈不害、字は孝和、呉興武康の人。幼くして孤児となったが身を立て学を好み、陳の天嘉初年(560年頃)衡陽王府中記室参軍・兼嘉徳殿学士となった。梁末の喪乱以来、国学が未だ建てられていないことを憂い上書して儒宮の建立を求め、帝は優詔で応えた。また楽章の改定を表し、三朝の楽歌の詞8首、計20曲を製作し楽府で用いられた。国子博士・領羽林監となり五礼を修め、策文・諡議などを掌った。太建中(569-582年)光禄卿・通直散騎常侍・兼尚書左丞に至って没した。不害は経術に通じ文章にも巧みで、博く経典を学びながら家に蔵書がなく、文章を作るたびに筆を執って一気に書き上げ調べ直すことがなかった。汝南の周弘正は常に彼を「沈生こそ聖人の意を得ている」と称賛した。五礼儀100巻、文集14巻を著した。子の沈志道、字は崇基、若くして名を知られ安東新蔡王記室参軍となり、陳の滅亡後は隋に入って没した。