南史卷六十八 列傳第五十八 華晈

出自と文帝への奉仕

  • 華晈は晋陵既陽の人。代々小吏の家柄で、梁代には尚書比部令史であった。侯景の乱では賊党王偉に仕えたが、陳武帝が南下した際、文帝が景に囚われていたところを晈は厚く遇した。
  • 景平定後、文帝が呉興太守となると晈は都録事として深く信任され、文帝の杜龕平定に際しては甲兵を配され、下を治めるに公明で人を厚遇し衣食を均等に分かち合った。天嘉元年、懷仁縣伯に封じられた。

湘州刺史への出世

  • 王琳が東下した際、晈は侯瑱に従いこれを拒み、琳平定後は江州の事を知った。呉明徹の周迪征討に従い、迪平定の功により侯に進爵、都督湘州刺史を授けられた。
  • 晈は下級の吏より身を起こして産業経営に長じ、川洞に出征しては銅鼓や生口を多く得て都に送った。廃帝の即位後は重安縣公に改封された。

反乱と滅亡

  • 韓子高が誅殺されると晈は内心不安を覚え、光大元年に密かに広州への転出を求めた。宣帝は偽って許諾したが詔書が出る前に、晈は密使を送り周の援兵を引き入れ、また梁の明帝を推戴し兵馬を大いに整えた。
  • 宣帝は呉明徹を湘州刺史に任じたが、これは晈が先に動くのを恐れて軽兵で急襲する策略であり、明徹に三万を率いて金翅船で郢州に向かわせ、さらに淳于量に五万を率い大艦で続かせた。梁の明帝は水軍で晈を支援し、周武帝は衞公宇文直を魯山に、柱国長湖公元定を郢州包囲に遣わした。梁の明帝は晈に司空・巴州刺史を授け、戴僧朔を衡陽内史、任蠻奴を巴陵内史、潘智虔を岳陽太守、章昭裕を桂陽太守、曹宣を湘東太守、錢明を晈の隷下に配し、長沙太守曹慶らも晈の下で用いられた。
  • 上流の郡守が晈に扇動されるのを恐れた帝は湘・巴二州に恩赦の詔を下した。晈は大艦に薪を積んで風を利用して火攻めを図ったが、風向きが変わり自ら焼かれて大敗し、戴僧朔とともに江陵に逃れた。元定らは船を失い歩いて巴陵に向かったが、既に陳軍に占拠されており降伏して建鄴に送られた。晈はついに江陵で命を終え、その党は誅殺されたが、任蠻奴・章昭裕・曹宣・劉廣業のみが赦された。