周鐵虎
- 周鉄虎はどこの出身か不明である。訛りの強い言葉遣いで膂力が人並外れ馬槊に優れた。梁の河東王蕭誉に仕え勇敢で知られ、誉が湘州にあった際は臨蒸令とされた。侯景の乱で梁元帝が世子方等に誉を討伐させると、誉は拒戦し方等を討ち取ったが、この戦で鉄虎の功が最も大きかった。王僧辯が誉を陣中で捕らえて煮殺そうとした際、鉄虎は「侯景がまだ滅んでいないのに壮士を殺してどうする」と叫び、僧辯はその言葉に感じ入り宥して麾下とした。
- 侯景の西征では鉄虎は僧辯に従い任約を破り宋子仙を捕らえるなど戦功を重ね、元帝の承制により潼州刺史・沌陽県子に封ぜられた。さらに僧辯の建鄴平定に従い謝答仁を降し、湘州で陸納を破って侯に進爵した。陳武帝が王僧辯を誅すると鉄虎は部下を率いて帰順しもとの職に復した。徐嗣徽が斉軍を渡江させた際、鉄虎はその水軍を破り、嗣徽平定後、太子左衛率に遷った。
- 周文育の蕭勃討伐に従い、文育が命じた別動隊で勃を襲い前軍の欧陽頠を捕らえ、さらに文育の王琳討伐に従い沌口で敗れ文育・侯安都とともに琳に捕らえられた。琳が諸将と語る中、鉄虎だけが言葉を屈しなかったため、琳は文育らの徒は宥したが鉄虎だけを殺害した。侍中・護軍を贈られ、天嘉三年、文帝は詔で武帝廟庭に配食させ、子の瑜が嗣いだ。