南史卷五十五 列傳第四十五 曹景宗

曹景宗、字子震、新野の人(?–507年頃、江州赴任の途上で没)。若くして騎射と胆勇で知られ、梁武帝の挙兵に従軍、鍾離の戦いで韋叡と共に魏の大軍を撃破した豪将。文字は解さなかったが即興の詩才もあった。諡は壯。

年表(5件)
  • 建武四年497年太尉陳顯達に従い魏の馬圈を包囲、奇兵で中山王元英の援軍を撃破する
  • 天監元年502年竟陵縣侯に改封される
  • 天監二年503年魏の司州包囲で動かず遊猟に興じ、司州陥落後に弾劾されるも武帝に不問とされる
  • 天監五年506年鍾離を包囲された昌義之の救援を命じられる
  • 天監六年507年淮水氾濫に乗じ魏軍を大破し、洛口まで追撃する

出自と若年

  • 曹景宗は字を子震といい、新野の人である。父の欣之は宋に仕え徐州刺史となった。景宗は幼くして騎射を好み、狩猟を好み、若くして胆勇で知られた。未だ弱冠に満たぬ頃、新野への道中で数百の蛮賊に囲まれたが、百余の矢を帯びて次々に射殺し、囲みを破った。
  • 史書を愛読し、『穰苴伝』『楽毅伝』を読むたびに「丈夫たるものはかくあるべし」と嘆息した。同郷の張道門と親しく、道門の父は車騎将軍張敬兒で、敬兒誅殺後に道門も武陵で処刑され、故吏が誰も収屍しない中、景宗は自ら船を出して遺体を迎え取り、義に篤いとして評判を得た。
  • 斉に仕え軍功で游擊将軍まで進んだ。建武四年(497年)、太尉陳顯達に従い魏の馬圈を包囲し、奇兵二千で中山王元英の援軍四萬を撃破したが、論功で後回しにされても怨言を言わなかった。魏孝文帝の大軍来襲で陳顯達が敗走した際は、景宗が山道を先導して顯達父子を救った。

挙兵から建康平定

  • 梁武帝が雍州刺史であった頃から景宗は深く結び、しばしば帝を自邸に招いた。武帝挙兵に応じ、景宗は部衆と五服内の子弟三百人を率いて従軍。竟陵に至ると先鋒となり、江寧で東昏の将李居士を撃破し、王茂・呂僧珍と共に大航で王珍國を破った。
  • 景宗の軍士は掠奪癖があり、武帝が西城に入り厳しく号令を発してようやく収まった。城平定後、湘西縣侯に封じられ郢州刺史・都督となる。天監元年(502年)竟陵縣侯に改封。州で財貨を貪り、城南に邸宅を築いて部曲は横暴を極め、民は苦しんだ。
  • 天監二年(503年)十月、魏が司州を攻め刺史蔡道恭を包囲したが、景宗は関門を見て動かず遊猟に興じ、司州陥落後に御史中丞任昉に弾劾されたが、武帝は功臣ゆえに不問とし右衞将軍に任じた。

鍾離の戦い

  • 天監五年(506年)魏中山王元英が鍾離を攻め徐州刺史昌義之を包囲、武帝は景宗に諸軍を督させて救援させ、豫州刺史韋叡も来援し景宗の指揮を受けた。景宗は功を独占しようと詔に背いて進軍したが暴風に遭い溺没者を出し引き返した。武帝は「これで賊を破れる、天意ではないか」と評した。
  • 韋叡と合流し邵陽洲に陣を築いて魏城に迫り連戦して勝ち、魏将楊大眼が対岸に築いた城を襲って趙草に守らせた(趙草城)。詔により景宗は北の橋、韋叡は南の橋を各々攻めることとなった。
  • 天監六年(507年)三月、淮水が氾濫し韋叡配下の馮道根・李文釗・裴邃・韋㝢らが敵軍を殲滅、景宗が全軍で鼓噪して諸城に登らせると魏軍は総崩れとなり、楊大眼は西岸で営を焼き、元英は東岸から単騎で梁城に逃げ込んだ。梁軍は洛口まで追撃し、俘虜五万餘人、軍糧器械は山積、牛馬驢騾は数えきれなかった。景宗は生口万餘人・馬千匹を献じた。

蒋帝神と宴席の詩

  • 先の大旱で武帝が蒋帝神に祈雨したが十旬降らず、神像を焼こうとした矢先に俄かに大雨が降り宮殿が震動、武帝は以後深く蒋帝神を信じるようになった。凱旋後、華光殿の宴で沈約に韻を賦させたが景宗は韻を得られず不満を訴え、余った「競」「病」の二字で即座に詩を作った。 「去時兒女悲しみ、歸來笳鼓競う。行路の人に問う、何如ぞ霍去病に」 沈約や朝臣は驚嘆した。爵を進めて公とし、侍中・領軍将軍となる。
  • 景宗は文字を知らず自己流に判断したが、年長で名族の韋叡だけは特に敬った。妓妾数百を蓄え、出行の際に車の帷を開けたがることを諫められると、若き日の乗馬遊猟の楽しみを語り、貴人としての窮屈さを嘆いた。臘月に「邪呼逐除」に扮させて民家を回らせたところ部下が婦女を弄び財貨を奪う事件が起き、武帝に知られ自ら止めた。
  • 後に江州刺史として赴任する途中に卒し、雍州刺史・開府儀同三司を贈られ、諡は壯。子の曹皎が嗣いだ。第九弟の曹義宗が若い頃、雍州の富人向氏が百万銭と妹を義宗に差し出そうとし、義宗が兄景宗に問うと「買うことすらまだできぬのに、なぜ既に売ったと言うのか」と返され、それでも義宗は財を貪り縁組を成立させた。義宗は後に武帝西下に従い梁・秦二州刺史を歴任、向氏一族はその縁で列卿に至った。義宗は都督として穰城を攻めて敗れ、魏に捕らえられ卒した。