南史卷四十六 列傳第三十六 曹武

曹武

  • 曹武、字は士威、下邳の人。本名は虎頭。齊高帝が東府を鎮めた際、武と戴僧靜に各300人の白直を率いさせた。後に屯騎校尉・南城令。石頭平定の功で羅江縣男に封ぜられ、高帝受禪後、監利縣に改封。武帝即位後、驍騎將軍に累遷したが、帝は「虎頭」の名を鄙しみ改名させた。鬱林即位後、前將軍に進み、隆昌元年、雍州刺史。建武2年、爵を侯に進む。東昏即位後、前將軍・鎮軍司馬。永元元年、始安王遙光が反した際、武は領軍として青溪大橋に屯し、事平定後、散騎常侍・右衛將軍に転じた。
  • 武は形幹が毅然として人を誘い懐柔するのに巧みだった。晩年雍州にあって蓄えた銭は7千万に及び、輪の大きな輿や馬800匹を有したが、僕妾の食膳は膏腴を避けた質素なものであった。かつて梅蟲兒・茹法珍に女妓を饗した際の器服の華美さから、蟲兒らはこれを誣告し財を奪おうとする動機となった。武は好んで庫を開き拍張の武戲に人を招いたと伝わる。帝は武が旧将であり利あるものを奪おうとし、新任に及ばぬうちに誅殺した。武はその兵が来て収められる際に「皆が私に異心のないことを知りながら殺すのは、財貨や伎女を奪うためだろう、これを衆に見られるのが恨めしい」と歎じたという。長成した諸子は皆誅されたが、子世宗兄弟3人だけは未冠のため尚方に繋がれ、梁武帝の軍が至って免れた。
  • 武は武人ながら人物を見る目があり、梁武帝や崔慧景が襄陽にあった頃、崔氏がその時富貴を誇っていたのに対し、武は倹嗇でも梁武にだけは餽遺した。「卿は必ず大貴の人になるが私は見届けられぬだろう、今弱子を託す」と語り、密かに銭物や良馬を送った。梁武帝が戎にあり乏しい時に武から借りたものは17万に達した。帝即位後もこの恩を忘れていたが、天監2年、田塍の下を歩き両側が深い水という夢を見て懼れていたところ武が現れて負ぶって渡してくれ「お前は今天下の主になったのに私への恩を忘れたのか、私の子は飢寒に苦しんでいる、かつて交換した17万で家を市える宅を返してほしい」と告げる夢を見た。帝は目覚めて主書に銭を送らせ宅を購わせた。子の世澄・世宗はともに抜擢され2、3年で大郡を歴任した。世宗は性厳明で兵勢に通じ、位は太子左衛率に至り富貴を得た。卒して左散騎常侍・左衛將軍を贈られ、諡は壯侯。