経歴
- 竟陵郡の軍人出身で、郡府の雑使から出仕。臧質の下で斉帥となり、元凶劉劭討伐・梁山での敗走に従軍、赦免を受けて都に下るが暴行事件で右尚方に付される。
- 中書舎人戴明宝の下で戸伯となり忠勤し原免された後、随身の隊統として重用される。明帝即位後の反乱鎮圧に際し、明宝の推薦で江西の快手八百人を募り、劉勔の西討に従軍して功を立て葛陽県男に封じられた。
- 桂陽王休範の乱では詐降の計を献じ、張敬兒に休範を斬らせる功があり、聞喜県侯に改封。建平王景素の乱でも軍を率いて討平し、右軍将軍に遷る。
- 沈攸之の乱では平西将軍・郢州刺史として新亭に出屯したが、袁粲が石頭で高帝に叛くと新亭の諸将とともに応じようとし未遂に終わる。高帝は依然として厚遇したが、回は仲間の王宜興と不和になり斬った。
- 沈攸之敗走後、郢州行きを望まず南兖州行きを求め部曲を率いて勝手に還り、安陸郡公に改封・南兖州刺史・加都督となった。高帝は回の専断(宜興斬殺など)と不帰服の姿勢を理由に召し出して誅殺した。
史論
- 論じて言う。凶人が事を成すのは世の乱れによるほかない。魯爽は乱世の心を平時に行ったがゆえに敗れたのは当然である。薛安都が自ら奔亡に至ったのもまた幸いというべきである。鄧琬は乱をもって乱を済まそうとし、ついに顛覆に至った。宗越は悪行を重ねて自ら滅びを招いた、いずれも身から出た結果である。呉喜は乱を平定した功に対し栄誉が報われぬまま禍を受け、黄回は順逆を助ける志を持ちながら福が至る前に災いが生じた。まさに天命というほかない。