南史卷二十八 列傳第十八 褚炫

字は彦緒、宋末・斉に仕えた清廉の士(?–?、享年41)。従兄褚彦回に「私の十倍廉潔」と評され、宋末には彭城の劉俣・謝朏・江斅と「四友」と称された。斉の吏部尚書として清貧を貫き、賓客との交遊を絶ったことで知られる。

年表(3件)

褚炫

  • 字は彦緒、若くして清簡、従舅王景文に見込まれ、従兄彦回は「炫の廉潔さは私の十倍」と評した。正員郎として宋明帝の射猟に従い、帝が終日獲物を得られず恥じ入り群臣に問うと誰も答えぬ中、炫だけが「気候は良いが雲霧が凝っていた、獲物が驚いただけで神駕が続けば必ず得るところがある」と答え、帝の機嫌を直した。中書侍郎・司徒右長史、昇明初(477年)清尚により彭城の劉俣・陳郡の謝朏・済陽の江斅とともに「四友」と称され文義に侍った。斉台建立後、侍中・歩兵校尉、家貧のため建元初(479年)東陽太守に出た。三たび侍中となったが従兄彦回とは操行を異にしたため彦回の代に大官に至らなかった。
  • 永明元年(483年)吏部尚書、清立を保ち吊問以外の交遊を絶ち、選部にありながら門庭は寂れ賓客も少なく、行くたびに従者が黄紙帽の箱を捧げるほど質素だった。江夏郡から帰任時に得た十七万銭を石頭で親族に分け与え、病を得ても薬を買う金がなく冠と剣を質に入れた。表を上げ解任を願い散騎常侍・安成王師・国学博士に改められたが拝する前に没した、時に四十一歳。殯葬の費もなかった。太常を追贈、諡貞。子は澐。