南史卷二十八 列傳第十八 褚翔

褚翔

  • 字は世挙、秘書郎から宣城王主簿。中大通五年(533年)梁武帝が楽游苑の宴で翔と王訓に二十韻の詩を三刻で作らせた際、即座に奏上して帝に称賛され宣城王文学に、のち友(王友)に抜擢され厚遇された。義興太守として簡素な政を敷き、郡西の古木が枯死後に新芽を出したことが善政の徴とされ、任期満了に際し百姓が留任を請い許された。吏部郎に召され、離任の際は百姓が涕泣して見送った。小選(人事)を公正に司り「平允」と称された。侍中、太清二年(548年)守吏部尚書、母の喪に哀毀し没した。若くして侍中時代、母の重病に沙門に祈祷を頼んだところ夜中に異光と指を弾く音があり病が癒えたと言われる。