南史卷二十八 列傳第十八 褚賁
褚賁(彦回の長子)
- 字は蔚先、幼くして耿介。父が袁粲らを裏切り高帝に付いたことを深く恥じ、終身悔恨した。棲退の志があり侍中。彦回薨去後、喪明けて武帝に見え涙が止まらず、帝は嘉して侍中・歩兵校尉・左戸尚書としたが、賁は病と称して外に住み、帝はこれを察し爵を弟の蓁に譲るよう仕向け、賁は墓下に留まり続けた。王儉が薨去した際、水牛に乗り弔問に赴き門外に牛を繋いで哭礼を尽くしたが、家人もこれを知らなかった。病篤くなり子霽が担いで帰宅させると、賁は故処でないことに怒り閉じこもって飲食を絶ち、面会も拒んだ。謝瀹が排して見舞い「事の成し得ぬは身、身の全うし得ぬは名、名と身をともに滅する者を君子と呼ぼうか」と諭したが、賁は「私に人間界への執着はない、ただ祖先の墓に還ることを願うのみ、子らが至らずこの願いが叶わなかったのが心残りだ」と答え、永明七年(489年)没した。