南史卷二十七 列傳第十七 孔琇之

孔琇之(霊符の弟霊運の子)

  • 呉令として吏才に優れた。十歳の子が隣家の稲一束を盗んだ事件で、諫めを退け「十歳で盗みができるなら成長すればもっと悪事を働く」と獄に付し、県中を粛正した。尚書左丞・左戸尚書・廷尉・臨海太守を歴任、任地の清廉で知られ、乾姜二十斤を献上した際その少なさを斉武帝に咎められたが、後にその清廉さを知り帝は嘆息した。呉興郡監事・太守として清厳と称された。明帝の輔政期、諸藩への監視強化の密旨を受けた。隆昌元年(494年)晋熙王の冠軍長史・江夏内史・行郢州事に転じ、晋熙王殺害を命じられたが辞退し、自ら決着をつけようとするも友人陸閑に諫められ、結局食を絶って死んだ。子の臻は太子舎人・尚書三公郎、臻の子幼孫は梁で寧遠将軍・枝江公主簿・無錫令。幼孫の子は奐。