治績と詩才
- 籍、字は文海。斉に仕えて餘杭令となり、政治は神のごとく訴えを見抜き、下の者は誰も欺けなかった。性格はやや倹しさに欠け、しばらくして百姓に訴えられた。銭塘県令として布政を行い、数十年来なかったほどの評判を得た。学を好み才気があり、詩は謝霊運を慕い、その到達点はほとんど遜色なく、時人は「康楽(謝霊運)に王籍あるは仲尼に丘明あり、老聃に厳周あるがごとし」と称した。梁の天監中、輕車湘東王諮議参軍となり湘東王府に随って会稽郡に赴き、若邪渓に至って詩を賦し「蟬噪林逾静 鳥鳴山更幽(蝉の声は林を一層静かにし、鳥の声は山を一層幽玄にする)」と詠み、劉□(底本欠字)はこれを見て節を打ち鳴らし感嘆してやまなかった。公事のため免官となり、中散大夫となってもいよいよ楽しまず、徒歩で市中を歩き交わりを選ばず、時に道で知人に会うと笠傘で顔を覆った。後に唐県侯相となったが小邑で事少なく、いよいよ楽しまず、県事を治めず、訴訟がある者は鞭打って追い返した。まもなく卒した。籍はまた草書を能くし筆勢は勁く放たれ、孔琳之の流れを汲むとされた。湘東王がその文を集めて十巻とした。