南史卷十四 列傳第四宋宗室及諸王下 豫章王子尚
寵衰と誅殺
- 劉子尚(字孝師)は孝武帝第二子。孝建二年(455年)六歳で西陽王、大明三年(459年)浙江東を揚州として刺史に任じられ、豫章王に改封、会稽太守を領し車騎大将軍・開府儀同三司に進んだ。東土の旱魃に際して勧農・儒学振興(左学設置)に取り組んだ。前廢帝即位後は揚南徐二州都督・尚書令となったが、廢帝の実母陳氏との縁で当初は重んじられたものの、新安王子鸞が母の寵で優遇されると寵が衰えた。
- 明帝が廢帝を弑した後、太皇太后令として子尚と姉山陰公主(楚玉)の淫乱を理由に共に賜死。公主は廢帝により会稽郡長公主に改封されていたが受爵前に廃された。