南史卷十四 列傳第四宋宗室及諸王下 晋平刺王休祐
貪虐と謀殺
- 劉休祐は文帝第十三子。孝建二年(455年)十一歳で山陽王、後に晋平王。荆州刺史として貪欲で苛斂誅求を行い(米の徴発など)百姓を苦しめ、南徐州刺史に徴されたが、明帝は休祐の乱行を憎み、狩猟に事寄せて壮士に襲わせ落馬に見せかけて殺害させた(実際は絞殺)。表向きは狩猟中の事故として発表され、司空を追贈された。
- 事後、十三子は庶人に落とされ晋平に徙され、明帝は休祐の祟りを恐れて子らを慰撫したが、順帝昇明三年(479年)謀反の名目で賜死された。