南齊書卷五十五 列傳第三十六 朱謙之
復讐と孝義の判断
- 字は処光、呉郡銭唐の人。父の朱昭之は学識で知られた。数歳で生母が亡くなり仮埋葬されていた場所を族人の朱幼方が焚火で焼いてしまったが、姉が幼い朱謙之に隠していた事情を漏らしたところ、成人後の永明中(483-493年)に自ら幼方を刺殺し獄に自首した。
- 県令申靈勗の上表と、別駕孔稚珪・記室劉璡・司徒左西掾張融らの上申により、「復讐の礼を認めつつ相殺は法で禁じられる」という矛盾の中、赦して活かすべきと議された。豫章王・世祖への上奏を経て、赦免のうえ曹虎の西征に随行させることとなった。
- しかし出発前、朱幼方の子・惲が津陽門で朱謙之を狙って殺害し、朱謙之の兄・選之がまた惲を刺殺した。有司の奏に世祖は「これらは義事だ、問うな」と全て赦した。呉興の沈顗は「弟は孝に死し兄は義に殉じた、孝友の節がこの一門に集まった」と歎じた。選之、字は処林。幼い頃、顧歓に才を認められ娘を娶わせた。江夏王参軍に至った。