五斗米道の家学
- 杜京産、字は景斉、呉郡銭唐の人で杜子恭の玄孫。祖父の杜運は劉毅衛軍参軍、父の杜道鞠は州従事で棋を能くし、代々五斗米道を伝え杜京産と子の杜栖に至る。閑静で栄宦に意なく文義を修め黄老を専らとした。会稽の孔覬と一見で親交を結んだが、郡・州の辟にも病と称して応じなかった。
- 顧歓と契りを結び始寧の東山に舎を開いて学を授けた。建元中(479-482年)、武陵王曄が会稽太守の際、儒士の劉瓛を派遣して講説させると、杜京産は瓛を山舎に招き、資財を尽くしてもてなし、子の杜栖は自ら履物を脱いで師事するほど礼を尽くした。
- 孔稚珪・周顒・謝&KR0034;らと書簡を交わし、永明十年(492年)、孔稚珪・光禄大夫陸澄・祠部尚書虞悰・太子右率沈約・司徒右長史張融が「潔静な心・謙虚な性、泰始の朝に冠を掛けて世を辞し隠棲すること二十余年、麻衣藿食も厭わぬ志士」と表して推薦したが不報。建武初(494年)、員外散騎侍郎の徴にも「莊子が釣りをするのに白璧に振り向くだろうか」と応ぜず、64歳の永元元年(499年)に卒した。
- 会稽の孔道徴も志を守り仕えず杜京産と親交があった。永明中、会稽鍾山に姓を蔡という人物がおり鼠数十頭を飼い呼べば来て去らせれば去り、言動が奇異で「謫仙」と呼ばれたが行方知れずとなった。