南齊書卷五十二 列傳第三十三 王逡之

王逡之

  • 字は宣約、琅邪臨沂の人。父祖はみな郡守。逡之は若くして礼学に通じ博聞であった。江夏王国常侍・大司馬行参軍・章安令を経て始安内史に累進、赴任せず山陽王驃騎参軍兼治書御史・安成国郎中・呉令。昇明末、右僕射王儉が儒術を重んじ、逡之は著作郎兼尚書左丞として斉国の儀礼制定に参与した。当初、儉が「古今喪服集記」を撰した際、逡之はこれに十一条の異論を唱え、改めて「世行」五巻を著した。国子博士に転じる。
  • 国学が久しく廃れていたため、建元二年、逡之は先んじて上表し学校の再興を訴え、また兼著作として「永明起居注」を撰した。通直常侍・驍騎将軍に転じ博士・著作を領した(そのまま)。寧朔将軍・南康相・太中光禄大夫として出、侍中を加官。逡之は素朴な衣裘を着て洗わず、机案は塵で黒ずんでいたが、年老いても書物を手放さなかった。建武二年、卒した。
  • 従弟の珪之は史学に通じ、「斉職儀」を撰した。永明九年、その子で中軍参軍の顥が上啓した。亡父の長水校尉珪之は儒学の家に生まれ、宋の元徽二年、勅命で歴代の官制・職掌を編纂するよう命じられ、あらゆる典籍を詳しく調べ、等級・職掌をすべて編録し、昇進・降格・遷任・補任、章服の等級・冠佩の飾りに至るまで記述した。斉建国の新体制に合わせ、亡き太宰(王儉)が勅命を奉じて速やかに校訂させようとしたが、刊定が終わらぬうちに私の家門に不幸があり、微力を顧みず謹んで上啓する、全五十巻、これを「斉職儀」と称する、永く天閣に登り秘府に銘記されることを願う、と。詔でこれを秘閣に収めさせた。