南北史演義第七十一回 強暴に遇い故后が汚され、忠諫に違い逆臣が敗を致す (遇強暴故後被污 違忠諫逆臣致敗)
高演の最期
北斉の主・高演は即位後、政治の安定に意を用いる一方、南朝との和睦には応じず、降将の王琳を揚州刺史に任じて南征の機をうかがわせていた。陳の主・陳蒨は和議を望んだが、仇敵が高演の傍にいるため打診できずにいた。高演は高歸彦の言を信じ、済南王・高殷を宮中に呼び寄せて殺害させたが、その後精神が乱れ、鬼にまつわる言動が目立つようになる。皇建二年冬、狩りの最中に落馬して肋骨を折り、床に伏したまま譫言を口にするようになった。見舞いに来た婁太后が済南王のことを問うても答えられず、太后は「済南を殺したのなら速やかに死ね」と言い捨てて去った。まもなく高演は臨終に際し、弟の高湛に帝位を託す遺書を残し、「自分の妻子を厚遇し、前例(済南王殺害)に倣うな」と書き添えて二十七歳で世を去った。
高湛の即位
高演の密命で済南王・高殷を晋陽へ護送する任にあった高湛は不安を覚え、散騎・高元海に策を尋ねる。元海は「兵権を返上し閑職に退く上策」「地方刺史に転じる中策」の二つを述べたのち、渋る様子を見せながら「文武を集めて済南王を擁立し、高歸彦らを討って天下に号令する」という下策を明かす。高湛はこれを気に入るが、術士・鄭道謙の占いにより静観を選び、済南王の護送を続けた。済南王殺害の報に恐れおののく間もなく、晋陽から高演の遺詔が届き、高湛は急ぎ即位した。年号を大寧と改め、高歸彦を太傅、段韶を大司馬などに任じ、兄・高演を孝昭皇帝と追尊、その皇后を孝昭皇后とし、前皇太子・高百年を楽陵王に降格した。
孝昭皇后への仕打ち
高演の柩を鄴へ送る葬列で、孝昭皇后・元氏が奇薬を持っているとして高湛が求めたが応じなかったため、高湛は激怒し宦官に元氏を車上で叱辱させた。元氏は涙をのんで耐えるほかなく、その後は寂しく幽閉同然の生活を送った。
胡皇后冊立と李皇后への邪心
翌年正月、高湛は鄴都で妃の胡氏を皇后に立てた。祭祀の宴の席で酔った高湛は後宮に入り込み、居並ぶ妃たちの中に亡兄・高洋の皇后であった李氏の美しさを見て心を動かされたが、その場では自制した。
李皇后凌辱
翌夜、高湛は供も連れずひとり李皇后の昭信宮を訪れ、言葉巧みに迫った。李皇后が拒むと、高湛は「従わなければ汝の子を殺す」と脅し、力ずくで犯した。以後も高湛はたびたび昭信宮へ通い、李氏はやがて身ごもった。
胡后と和士開
一方、寂しさに耐えかねた胡后は宮女を通じて美男の給事・和士開を引き入れ、高湛の目を盗んで密通するようになった。士開は胡后の寵愛を足がかりに黄門侍郎へと昇進した。
高元海らの失脚
胡后は皇太子・緯を生む。高元海・畢義雲・高乾和らは平秦王・高歸彥の専横と和士開の台頭を諫めたが、士開に先手を打たれて逆に讒言され、次第に疎んじられていった。高歸彥は不満を抱きつつ機をうかがったが、婁太后の喪に阻まれ動けなかった。
婁太后の死
婁太后は初夏に六十二歳で病没した。六男二女を産んだ夢占いの逸話が伝えられる。喪中にもかかわらず高湛は喪服を改めず宴楽を催し、和士開の諫めさえ聞かず打擲した。
高歸彦の乱
高歸彦の陰謀は密告により発覚し、段韶・婁叡が討伐に向かう。歸彥は籠城して抗弁するが、内応者に裏切られて敗走し捕らえられ、処刑された。子孫十五人も誅殺された。
李氏母子の悲劇
高湛の暴虐はさらに募り、身重の李氏(前主・高洋の子・紹德の生母)が我が子の面会を拒んだことに紹德は傷つく。李氏が女児を産み落としたことに激怒した高湛は、紹德を呼びつけて刀の柄で打ち据え、殺してしまう。李氏は嘆き悲しみ、高湛はさらに李氏を鞭打ち、絹の袋に入れて水路に投げ込ませた。宮女らが密かに助け出し、命を取り留めた李氏は妙勝寺に入って尼となった。
斉陳の和議
斉と陳は使者を通じて和議を結び、王琳は召還されて盧潛が揚州刺史となる。以後、江南江北は数年にわたり平穏を保った。
陳蒨の西南経略
陳の主・陳蒨は北の憂いが去ったのを機に、東陽の留異・臨川の周迪・閩州の陳寶応らの不服従勢力の平定に乗り出す。留異は侯安都の攻撃で敗れ、周迪も豫章太守・周敷を襲うが失敗して逃走。陳寶応は留異の娘婿として抵抗を続けた。
虞寄の諫書
陳寶応の下に身を寄せていた虞寄は、寶応に恭順を勧める長文の諫書を送り、陳朝の正統性、天命、兵力の劣勢など十の理由を挙げて降伏を説いたが、寶応は受け入れなかった。
陳寶応の敗走
周迪は謀略で豫章太守・周敷を殺すが、程靈洗・章昭達らの追討を受けて敗走。陳寶応も水陸両面から攻められて連敗し、莆田へ逃れる中、虞寄の諫言に従わなかったことを悔いた。
評語
北斉の宮廷は淫乱が常態化していたが、高演だけは色を好まなかったため、その妻・元氏は辱めを受けても操を守り通せた。一方、高洋の妻であった李氏は、高洋の妻を奪った高澄の報いを受けるように高湛にも凌辱され、因果応報の速さが際立つ。李氏がわが子の死を惜しんで恥辱に耐えたにもかかわらず、その子は結局殺され、自身も死にかけたことは痛ましい。名節を重んじる者が命を惜しまないのは、生き恥をさらせばこうした目に遭うと知っているからである。陳寶応は妻の一族の悪事に引きずられ、虞寄の理を尽くした諫言も届かなかった。人を誤らせるのはしばしば婦女がらみの情であり、寶応の失敗もまたその戒めとなろう。留異の狡猾さ、周迪の裏切りは論じるまでもない。