南北史演義第六十六回 江陵が陥り梁元帝が殺され、王僧弁を誅し晋安王を再び立てる (陷江陵並戕梁元帝 誅僧辯再立晉安王)

宇文泰の梁への探り

  • 宇文泰は西魏の廃立を思うがままに行いつつ、なお表向きは臣節を守る体を装い、実務を続けていた。
  • 侍中の宇文仁恕を使者として江陵へ送り、梁の実情を探らせる。梁主蕭繹は北斉の使者を仁恕より厚遇し、泰はこれを聞いて梁が斉に頼ろうとしていると笑った。
  • 梁が旧疆界の回復を求める使者を送ると、泰はこれを一蹴し、江陵を保てるだけでも幸いだと突き放す。以後、梁を攻め取る意志を固める。
  • 降将蕭詧は攻撃の機を度々促し、旧梁臣であった魏将馬伯符は泰の企みを密かに梁へ知らせるが、猜疑心の強い梁主繹はこれを取り合わなかった。

王琳の左遷と警告の黙殺

  • 広州刺史蕭勃の入朝希望を機に、梁主繹は勢力の強い湘州刺史王琳を疑い、嶺南へ遠ざけようとする。
  • 王琳は江陵の主書李膺に、自分を疑うなら雍州で屯田・防備に当たらせる方が得策だと述べたが、上奏は憚られたまま王琳は赴任していった。
  • 天文を能くする散騎郎庾季才が、天象から江陵に近く兵禍ありと上書し遷都を勧めたが、梁主繹は「禍福は天による」と取り合わなかった。

西魏軍南下、於謹の予見

  • 暮秋、西魏は於謹・宇文護・楊忠らに五万の兵を授け江陵へ進発させる。
  • 長孫儉が於謹に梁の出方を問うと、於謹は「渡江して丹陽を突くのが上策、居民を退けて籠城するのが中策、外郭を守るだけなら下策」と述べ、繹の性格からして必ず下策を選ぶと予言した。

梁廷の楽観と対応の遅れ

  • 武寧太守宗均の急報にも群臣は楽観論を唱え、王琛を再度西魏へ派して確かめさせる。
  • 梁主繹は道教に凝り、龍光殿で老子道徳経を講じている最中に西魏軍来襲の報を受けるが、王琛の楽観的な書状に一時は信じかける。
  • 警報が続く中でようやく王僧辯を大都督・荊州刺史に任じ建康より救援へ向かわせ、陳霸先には揚州鎮守を命じるが、両将は北斉軍との交戦で敗れたばかりだった。
  • 郢州刺史陸法和も救援を申し出るが、梁主繹はこれを退け、法和は不満気に城門を白く塗り喪服のまま座り込んだ。

江陵包囲と抗戦

  • 西魏軍は漢水を渡り、宇文護・楊忠が江津を押さえて建康からの援軍を遮断、武寧を陥として太守宗均を捕らえる。
  • 梁主繹は鳳凰閣で天文を仰いで敗亡を予感し妃嬪と涙する。閲兵の日も暴風雨に阻まれる。
  • 六十余里に及ぶ柵を築いて防備するが、西魏軍が放火して柵と城楼二十五を焼き払い、江陵は完全に包囲される。
  • 王僧祐らの出撃も失敗を重ね、梁主繹は詩を作って憂さを晴らすばかりで有効な策を出せない。
  • 援軍を催促する密書は西魏軍に奪われ届かず。王琳が救援へ向かわせた長史裴政は蕭詧に捕らえられるが、偽って服従を装いつつ城内に真実を叫び忠義を示し、蔡大業の取りなしで処刑を免れた。

江陵陥落

  • 胡僧祐が奮戦するも戦死し、城内は動揺。朱買臣は宗懍・黄羅漢の処断を進言するが、繹は聞き入れず、ついに城門が開かれ敵兵が侵入する。
  • 繹は子城に退き、蔵書十四万巻を焼かせ自らも火に身を投げようとするが止められる。
  • 謝答仁・朱買臣は夜襲脱出や決死の抗戦を進言するが、王褒の反対で答仁の献策は退けられ、答仁は憤死する。
  • 降伏の使者として太子元良が人質に出され、書を書かされた王褒は「柱国常山公家奴王褒」と署名する屈辱を受けた。
  • 梁主繹は自ら城を出て降伏、於謹の前に引き出され、蕭詧に辱められる。焚書の理由を問われ「読書万巻の果てがこれだ」と答えるのみだった。

蕭繹の最期と後梁の成立

  • 蕭詧の強い主張により、繹は土嚢で圧殺される。太子元良、始安王方略、桂陽王大成らも殺害された。梁主繹は在位三年、四十七歳。学問に長じた反面、肉親にも残忍であったと評される。
  • 家臣尹德毅は於謹らを謀殺し江陵を取り返す策を献じるが、蕭詧は西魏への恩義を理由に退け、後で悔やむことになる。
  • 於謹は江陵の宝物・典籍・数万の男女を長安へ連れ去り、老弱は殺害。江陵に残されたのはわずか三百余家。
  • 翌年、蕭詧は皇帝を称し(大定と改元)、後梁の小朝廷を建てる。西魏へは臣を称し続けた。

蕭淵明擁立と王僧辯の変心

  • 北斉主高洋は江陵陥落を受け清河王岳を派兵、郢州刺史陸法和は斉に降る。斉は貞陽侯蕭淵明を梁王に立て建康へ送り込もうとする。
  • 一方、蕭繹の子で晋安王の方智が建康で即位し、王僧辯・陳霸先が擁立の実権を握った。
  • 北斉の使者邢子才が僧辯に蕭淵明擁立を勧めるが、僧辯は一旦拒絶。しかし斉軍に裴之横が敗れると態度を翻し、蕭淵明を迎え即位させ(天成と改元)、方智を皇太子に格下げした。

陳霸先の反発と王僧辯誅殺

  • 陳霸先はこの変心に強く反対したが容れられず、僧辯との仲は険悪化する。
  • 霸先は密かに挙兵し、石頭城を奇襲、王僧辯父子を捕らえて絞殺した。蕭淵明は帝位を退き、霸先は方智を再び擁立して即位させ、紹泰と改元した。

(詩:権謀の末に君臣を殺し実権を握った陳霸先の非情を詠む)

評語

蕭繹は江陵に安住し遷都を拒んだ時点で敗亡の兆しがあった。西魏来襲後も下策に甘んじたのは必然の帰結である。肉親を顧みぬ残忍さゆえの滅びは自業自得といえる。蕭詧は叔父殺しの首謀者であり罪は蕭繹に勝るとも劣らない。蕭淵明は敵国に擁立された身でありながら帝位を継いだことを非難されて当然であり、王僧辯がこれを迎えたのも譏りを免れない。しかし陳霸先の王僧辯誅殺もまた梁への忠義からではなく、私利による離合であった。朝には縁組を語り夕には仇敵となる乱世の軍閥の実態がここに表れている。