南北史演義第五十九回 叛賊を縦って朱異が国を誤り、羊侃が強寇を退け城を守る (縱叛賊朱異誤國 卻強寇羊侃守城)
侯景、渦陽で大敗し壽春へ逃れる
- 太清二年、慕容紹宗は譙城で持久戦を続け、侯景軍の兵糧が尽きかけた頃、鉄騎五千で出撃した。侯景は「家族は既に高澄に殺された」と偽って兵を煽ったが、紹宗が冠を脱ぎ髪を乱して北斗に誓い「家族は無事、帰順すれば元の官職を保証する」と呼びかけると、侯景軍は動揺して離散し、暴顕らも紹宗に降った。
- 侯景はわずかな側近と共に渦水を渡って敗走、八百の兵をかき集めて追撃を逃れ、壽春に入って監南豫州事韋黯を説得し(部下徐思玉を使って)迎え入れさせた。梁廷では侯景の生死が不明なまま憂慮が広がり、太子詹事何敬容は「景が死んでいれば朝廷の幸い」と評した。
- 梁主は侯景の無事を知ると南豫州牧に任じ続けた。光禄大夫蕭介は「凶悪な性は変わらぬ、狼子野心を養えばいずれ噛みつく」と諫めたが、梁主は聞き入れなかった。豫州刺史羊鴉仁・殷州刺史羊思遷は撤退し、河南諸州は再び東魏の手に落ちた。
東魏との和議と朱異の裏切り
- 高澄は蕭淵明を厚遇し、和議を持ちかけ、俘虜と侯景の家族の返還も約束すると告げさせた。梁廷では朱異らが和議に賛成する中、司農卿傅岐だけが「これは侯景を疑心暗鬼にさせる離間の計だ」と見抜いたが容れられず、和議が進んだ。
- 侯景はこれに動揺し、梁主に泣訴する書を送り朱異にも賄賂三百両を贈ったが、朱異は金だけ受け取り上奏を握りつぶした。梁主は侯景を宥めつつ和議を進め、東魏の偽の書状(貞陽侯と侯景を交換するとの案)に梁主が動じかけると、傅岐は反対し朱異は逆に「使者一人で捕らえられる」と主張、梁主は朱異に従い、事実上侯景を見捨てる返書を送った。
侯景、反乱を決意
- 侯景は王偉の進言で反乱を決意し、壽春の民を兵に編入、財産と子女を将士に分け与えた。梁に王氏・謝氏との婚姻を求めて拒絶されると恨みを深め、軍装用の錦の要求も青布で済まされて激怒した。
- 咸陽王元貞は侯景の異心を察して逃げ帰り梁主に報告したが、梁主は不問に付した。侯景は臨賀王蕭正徳(かつて魏に出奔した前歴あり)と密かに通じ、正徳を擁立する内応の約束を取り付けた。
梁廷の油断
- 鄱陽王蕭範は侯景の謀反を察知して警告したが、朱異が「侯景の兵は既に散り反乱などできぬ」と取り合わず、梁主も「孤立無援の景に何ができる」と楽観した。羊鴉仁が捕らえた侯景の使者を献上し警戒を促しても、朱異は釈放してしまった。
- 侯景はついに挙兵し、朱異・徐驎・陸驗・周石珍ら「三蠹」の排除を掲げる檄文を四方に発した。梁主は「一片の詔で足りる」と侮り、鄱陽王範ら四道都督と邵陵王綸を統帥とする討伐軍を編成した。
侯景、建康へ進撃
- 王偉の勧めで侯景は寿陽を偽子に守らせ譙州を急襲、次いで歷陽も陥落させ、建康へ向かった。羊侃は彩石を急ぎ制圧し寿陽を衝いて侯景を挟撃する策を献じたが、朱異が「侯景は渡江すまい」と反対し無為に終わった。
- 内応の臨賀王正徳が糧船を装って舟を貸し、侯景は横江から彩石へ渡江、姑熟・慈湖へと進んだ。梁廷は上を下への大騒ぎとなり、梁主は軍事を太子綱に丸投げした。正徳の叛意が知られぬまま朱雀門の守備に配されるという失態も生じた。
侯景、建康城下に迫る
- 侯景の使者徐思玉が入朝して偽りの投降話をしたが、舎人高善寶が疑いを表明し、真相(侯景が「朱雀清君側」を掲げ皇帝を志すという野心)が露見、朱異は面目を失った。
- 侯景は朱雀桁で梁の東宮学士庾信の軍を退け、正徳の手引きで橋を渡り朱雀門に入城、宮門前で拝礼する体を装った。羊侃の指揮のもとで台城は防御を固め、放火・攻城兵器(木驢・登城車など)による猛攻をことごとく撃退した。羊侃の子鷟が捕らえられ人質にされても、侃は「一族をもって主に報いる覚悟、我が子一人に構わぬ」と揺るがず、侯景も敢えて殺せなかった。
正徳の即位と籠城戦の激化
- 太清二年十一月、侯景は正徳を皇帝に擁立し、蚩尤を祭って盟を結ばせた。正徳は改元・立太子を宣言し、侯景を丞相とし娘を娶らせる詔を出した。侯景は正徳を名ばかりの帝として実質的に監視下に置き、東府も攻略した。
- 梁主が偽って死んだとの噂が流れたが、太子綱の勧めで梁主自ら城壁に姿を見せ、噂は鎮まった。
- 南津校尉江子一は渡江阻止に失敗した罪を許された後、弟二人と共に決死の出撃を行い、奮戦の末に三兄弟とも戦死した。
評語
(勧めて侯景を招き入れたのも朱異、離反へ追い込んだのも朱異、その後も庇い続けたのも朱異であり、朱異の真意と、それを信じ続けた梁主の判断の甘さが問われる。侯景の実力自体は渡江時一万に満たぬ程度で、蕭範・羊侃の献策を用いていれば十分制圧できた。叛意明白な正徳を退けず用いたことが、事態を決定的に悪化させた。梁主の昏迷と太子綱の凡庸ぶりが露呈し、羊侃のような忠臣の献策も孤立して活かされず、社稷の柱石一人では大局を支えきれなかった、との趣旨)