南北史演義第五十二回 梁の太子が憂いにより去世し、賀抜岳が賺されて喪身する (梁太子因憂去世 賀拔岳被賺喪身)
廃帝の相次ぐ死
- 魏主修は高歓の辞退を容れ天柱大将軍の号を取り消させる。幽閉中の魏主恭(前廃帝)は詩に世を嘆く心境を託すが、それが忌避を招き服毒を強いられ三十五歳で死ぬ。安定王元朗(後廃帝)も二十歳で毒殺され、東海王元曄・汝南王元悦も相次いで害される。
- 語り手は、宗室を除いても真の脅威は強藩にあったと指摘し、これらの処断が魏主修への評価を下げるものと述べる。
魏主修の即位固め
- 献文帝・孝文帝の孫にあたる諸王が任官し、荘帝(子攸)と胡太后の追諡・改葬が行われる。魏主修は高歓の娘を皇后に迎えるべく晋陽へ納幣使を送る。
- 使者の李元忠は高歓と旧知の間柄で、酒席で軽口を交わしながら旧交を温め、高歓の娘は洛陽に迎えられ皇后に冊立される。
梁の太子蕭統の死
- 場面は梁に転じる。梁主蕭衍の治世が長く続く中、陳慶之は北伐失敗後も重用され、北朝の文物の充実を語って梁主の北進意欲を鎮める。
- 妖賊僧強の乱を陳慶之が鎮圧。梁主の次子蕭綜(豫章王、魏に降り蕭賛と改名)は魏で客死する。
- 太子蕭統は幼少より学才に優れ、仁慈で慎み深い人柄で知られたが、生母丁貴嬪の喪に深く服し、さらに墓所の呪詛物(蝋鵝)が発覚した嫌疑を負って以来鬱屈し、病を得て三十一歳で早世する。梁主は哀悼し「昭明」と諡する。王筠の哀冊文の大意が伝えられる。
- 太子の子ではなく三男の晋王蕭綱が新太子に立てられ、世評は分かれる。
高乾兄弟の粛清
- 魏主修は高歓の権勢を警戒し、斛斯椿らの進言で内密の軍備を整え、賀拔岳・賀拔勝を外援として頼る。
- 高乾は魏主修と密かに盟約を結ぶが、これが高歓との間に疑念を生む。高乾は徐州刺史への転出を望むが、逆に魏主修から「盟約を漏らした」と疑われて誅殺される。弟の高敖曹は難を逃れて高歓の下へ走り、高歓は乾の死を悼み敖曹を厚遇する。次兄の高仲密(高慎)も晋陽へ奔る。
高歓と賀拔岳の暗闘
- 高乾の死を境に高歓と魏主修の関係は険悪化する。魏主修は賀拔岳を頼み、宇文泰を晋陽へ偵察に送るが、宇文泰は高歓の器量を見抜きつつ関中へ急ぎ帰る。
- 宇文泰は賀拔岳に、高歓に対抗するため関中の諸勢力を糾合するよう進言し、岳はこれに従って各地の部族を招撫する。宇文泰は夏州刺史に任じられる。
- 高歓は紇豆陵伊利を討って捕らえ、魏主修から詰問を受ける。高歓は秦州刺史侯莫陳悦に反間の計を仕掛け、賀拔岳との離間を図る。
賀拔岳の暗殺
- 賀拔岳は曹泥討伐のため侯莫陳悦と合流するが、悦は密かに高歭に通じており、婿の元洪景に命じて岳を刺殺させる。
- 悦は岳の部衆を掌握できず退却。趙貴らの推挙で宇文泰が夏州から呼び戻され、岳の軍を統べることになる。宇文泰は迅速に兵を集め、悦への復讐を誓う。
評語
魏の内乱の間に梁の太子薨去を挟んだのは時系列のためではなく、太子の賢孝を特に顕彰する意図による。高歓の専横は臣道に悖るものだが、その端緒を作ったのは斛斯椿であり、実際に決裂を招いたのは魏主修自身である。賀拔岳の死も魏主修の関与が半ばあり、岳が侯莫陳悦ごとき凡才に討たれたことは、そもそも高歓に対抗できるだけの力量がなかったことを示す。魏主修が岳を頼み高歓に抗した判断は、自らの破滅を早めたに過ぎない。