南北史演義第十三回 殷景仁が奸党を捕えて謀を定め、逆謀が露見し范蔚宗が伏法する (捕奸黨殷景仁定謀 露逆萌范蔚宗伏法)
楊難当の帰順と南北情勢の総括
- 楊難当は僭号したが魏の圧力に屈し上邽を明け渡す。語り手はここで五胡十六国から南北朝分立に至る経緯を総括する。
- 魏はこの頃最盛期を迎え西域諸国も朝貢するが、柔然のみ服さない。魏主燾は文治に転じ、李順は不正が露見して自尽させられる。
- 道士寇謙之が魏主の信任を得て「太平真君」の年号が定められ、崔浩も神秘思想に傾倒する。
宋の後宮争いと彭城王義康の専横
- 宋主義隆は皇后袁氏より寵妃潘淑妃を偏愛し、袁后は憤死する。政務は彭城王義康に委ねられ、義康は権勢を恣にし私党を養う。
- 側近の劉斌らが義康に「兄弟継承」をほのめかし、宋主重病の際には劉湛が晋の故事を持ち出して義康擁立を画策するが、宋主が快復し発覚する。
劉湛誅殺と義康の左遷
- 殷景仁は病をおして深夜宋主に召され、沈慶之を用いて劉湛とその子・党与を捕らえ誅殺させる。
- 義康は連座を恐れて辞職、江州刺史として左遷される。会稽長公主が武帝の遺品の粗末な衣を示して情に訴え、縁者の助命を得る場面が描かれる。
- 殷景仁は劉湛誅殺の直後に精神に異常をきたし急逝する。
范曄らの謀反計画
- 才人范曄(『後漢書』の撰者)は不遇を託ち、孔熙先の説得を受けて彭城王義康擁立の謀反に加担する。謝綜・徐湛之ら義康ゆかりの人物も次々と引き込まれる。
- 決行の機会を逃し続けるうち徐湛之が密告、一味は捕らえられ、范曄も証拠を突きつけられて謀反を認める。獄中で范曄が詠んだ詩が引かれる(生死は定めであるとする趣旨)。
評語
義康自身に謀反の意図はなかったが、劉湛・范曄がそれぞれ我が身の栄達のために義康の名を利用し、身を滅ぼしたと評する。功業もなきまま高位にあった両名が「小才ありて君子の大道を知らず」の典型であるとし、彼らに踊らされた義康の運命もまた尽きようとしていると結ぶ。