南北史演義第三回 燕を伐ち険を冒して成功し、東都を守り兵を督して寇を防ぐ (伐燕南冒險成功 捍東都督兵禦寇)

王謐死後の人事と劉裕の権力掌握

  • 何無忌は殷仲文を疎ましく思い、劉裕に讒言して殷仲文・桓胤を粛清させる。
  • 司徒王謐の死後、揚州の後任人事を巡って朝議が割れるが、劉穆之の進言により劉裕自らが京師に赴いて揚州刺史・録尚書事の座を確保する。

蜀討伐の失敗と再挙

  • 益州で参軍譙縦が刺史毛璩を殺して蜀王を自称。晋は司馬栄期、続いて毛脩之を派遣するが戦死・苦戦が続く。
  • 劉敬宣も黄虎嶺で秦・蜀連合軍に阻まれ撤退し、責を負って降格となる。

南燕遠征、臨朐の戦い

  • 南燕主慕容超が淮北を侵略したため、劉裕は西の蜀より先に燕討伐を決断。大峴山の険を突破し、燕軍の予想を裏切って進軍する。
  • 臨朐で両軍が激突する中、劉裕は胡藩の献策により別動隊で燕の本拠地臨朐城を奇襲・陥落させ、慕容超を敗走させる。

広固包囲と慕容超の降伏

  • 慕容超は広固城に籠城するが、劉裕は長期包囲の陣を築き、後秦への救援要請も劉裕の威嚇と穆之の分析により失敗に終わる。
  • 降将張綱の攻城具により城は追い詰められ、慕容超はついに捕らえられて処刑、南燕は滅亡する。

盧循・徐道覆の反乱、何無忌の戦死

  • 劉裕の燕遠征中に盧循・徐道覆が挙兵し、長沙・南康・廬陵・豫章を陥落させて建康を脅かす。
  • 江州を守る何無忌は豫章で徐道覆と戦い、風向きの逆転により大敗して戦死する。

劉裕の帰還と建康防衛

  • 劉裕は急ぎ建康へ帰還するが、援軍に赴いた劉毅も桑落洲で盧循・徐道覆に大敗する。
  • 都では避難論も出るが、劉裕は徹底抗戦を主張。孟昶は劉裕の強硬な姿勢に絶望して自害する。劉裕は盧循軍の動きを冷静に読み、新亭を固めて西岸への備えを固める。(詩:劉裕の沈着と孟昶の短慮を対比して詠う)

評語

語り手は本回の劉裕の采配を高く評価する。南燕の大峴山では敵が険を守らないと見抜いて突破し、盧循の乱では敵が新亭に進まないと読んで固守に徹した。何無忌や劉毅の性急な敗戦、孟昶の臆病な自害と比べ、劉裕の智勇は曹操に匹敵すると結ぶ。