明史演義第九十八回 秦楚を擾し闖王号を僭す/東西を掠め献賊横行す (擾秦楚闖王僭號 掠東西獻賊橫行)
田貴妃の死
- 繍鞋事件で田妃は啓祥宮に移され三月間召されなかったが、周皇后の取り成しで懐宗と和解。しかし相次ぐ皇子の早世により心労を重ね、崇禎十五年七月に病没した。懐宗は深く悲しみ手厚く葬り、諡を贈った。妹の淑英は妃の存命中に見初められたが、冊封は乱世のため実現しなかった。
周延儒の失脚
- 延儒は清兵撤退後帰京するが、錦衣衛駱養性の告発で督師中の虚偽報告が露見し、譴責の上で致仕。蔣徳璟・黄景昉・呉甡が新たに入閣した。
怪異の頻発と流言
- 日食・地震のほか、性別が変わる怪異や河南の妖しい軍馬の幻影、宣城の出血、京師の泣き声、蘄州の白昼の鬼など不吉な兆しが相次いで語られる。予言めいた古碑や黄袱の文言、喪門神を名乗る怪異の逸話も紹介される。
承天陥落と自成の勢力拡大
- 李自成は河南諸州県を席巻し、崇王朱由樻を捕らえて降伏を強要。承天(湖広省会)を攻め、巡撫宋一鶴は戦死、知県蕭漢は自成の温情にもかかわらず自ら殉節した。自成は承天を揚武州と改称し、順天倡義大元帥を自称。仁宗陵に迫るが不気味な轟音に驚き発掘を控えた。
襄京建国と粛清
- 牛金星の献策で自成は襄陽を襄京と改め新順王を称し、官制を整えて根拠地とした。崇王由樻は服従しなかったため殺害。革裡眼・左金王を宴に招いて謀殺し、羅汝才も夜襲で斬殺するなど、他の賊党を次々粛清して勢力を統一。李自成・張献忠のみが残る形となった。
自成軍の残虐な軍紀
- 自成軍は略奪と人肉食を厭わず、馬の飼育にも人肉を用いるなど凄惨な軍紀が語られる。堅固な鎧を持ち、水攻めや城壁破壊の戦術に長け、抵抗の長さに応じて殺戮の規模を増す「屠城」の恐怖政治で攻略を重ねた。
潼関の戦いと西安陥落
- 孫伝庭は洛陽・唐県で一時勝利するも、糧道の乱れと賊の奇襲で大敗し潼関へ敗走。自成の甥李過の迂回攻撃を受け、伝庭は力戦の末に戦死。西安が陥落し秦王朱存枢は降伏、伝庭の妻子は投身自殺、多くの官が殉節または降伏した。自成は西安を長安(西京)と改称し、翌年国号を「順」、元号を「永昌」と定めて皇帝を僭称した。
榆林の玉砕と三辺の陥落
- 鳳翔は屠城され、榆林は婦女子まで屋根瓦で応戦する壮絶な籠城の末に陥落し全員が殉節。蘭州・西寧・甘粛も次々陥落し、三辺全域が自成の手に落ちた。
張献忠の湖広・江西侵攻
- 左良玉の東下を恐れた献忠は黄州・武昌方面へ転じ、武昌を陥落させ楚王朱華奎を溺死させるなど惨劇を重ね、天授府と改称して科挙まで実施した。左良玉の反攻で武昌を失うと長沙・衡州へ転戦し、洞庭湖での凶行や桂王・恵王らの追撃、道州での沈雲英の奮戦などを経て、江西方面を経て最終的に四川へ転進した。
自成の偽檄文と懐宗の憂慮
- 懐宗は李建泰・方岳貢を登用するが、自成が発した僭称の檄文を受け取り涙する。山東総督范志完・周延儒の不正が露見し処罰される中、大臣が親征に代わって出師を願い出る場面で本回は終わる。