明史演義第七十七回 藩封を救い猛攻して平壌す/和議を破り再び島山に戦う (救藩封猛攻平壤  破和議再戰島山)

豊臣秀吉の朝鮮侵攻

  • 朝鮮は明の藩属国だったが、日本を統一した平秀吉(豊臣秀吉)が朝貢と明への先導を要求、国王李昖はこれを拒否する。
  • 秀吉は行長・清正らに大軍を率いさせ朝鮮に侵攻、国王李昖は防戦もままならず平壌、さらに義州へと逃れる。
  • 朝鮮の八道はほぼ倭軍に制圧され、李昖は明に救援を求める。
  • 明の遊撃隊が平壌で敗死、副総兵祖承訓の援軍も撃退され、明軍は苦戦する。

沈惟敬の講和工作

  • 明は兵部侍郎宋応昌に軍務を委ね、倭軍と対峙する。
  • 兵部尚書石星は講和を図り、無頼の徒・沈惟敬を使者として倭営に送る。倭の行長は大同江を境とする和議を持ちかける。
  • 慎重論もあったが、石星は沈惟敬の言を信じ進軍を急がせなかった。

平壌攻略

  • 提督李如松が東征を命じられ遼陽で宋応昌と合流、渡江して進軍する。
  • 参謀李応試の献策で、沈惟敬による偽りの和議交渉を利用しつつ奇襲を仕掛ける計略を取る。
  • 平壌城で李如松軍は倭軍と激戦、牡丹峰などの激戦を経て、祖承訓の朝鮮服に偽装した部隊が西南隅から城内に侵入し形勢を決する。
  • 倭軍は多大な損害を出して平壌を放棄、龍山方面へ撤退。黄海・平安・京畿・江原の四道が次々回復される。

碧蹄館の激戦

  • 勝利に驕った李如松は軽騎で偵察に出るが落馬して負傷、倭軍に包囲され裨将李有升が戦死するなど危機に陥るも、如柏・如梅らの援軍と楊元の到着で辛くも撃退する。

講和交渉の再開

  • 明軍は長雨と疲弊で開城に撤退、龍山の倭の糧秣を夜襲で焼き払う。
  • 宋応昌は再び沈惟敬を通じて講和を図り、倭軍は王京を明け渡し王子を返還、明軍も追撃を控える。
  • 兵部尚書石星は和議を主導、朝鮮を還都させ劉綎に守らせ、明軍を帰還させる。
  • 倭の使者小西飛が入朝し封貢の議が起こるが、御史楊紹程らは強く反対する(封貢は歴史的に禍のもとであり、秀吉は簒奪者であるから許すべきでないとの上奏)。
  • 反対論が相次ぐ中、石星と経略顧養謙は封貢を推進しようとするが議は決しない。

冊封使の失態

  • 正使に任じられた臨淮侯李宗城は渡海を先延ばしにし、沈惟敬は先に渡海して秀吉に賄賂を贈り私利を図る。
  • 李宗城は対馬島で女色に溺れ、島官の妻に無礼を働いて追放され、逃走中に自殺を図るが助けられる。
  • 副使楊方亨が正使に格上げされ、沈惟敬と共に冊封の任にあたる。

封貢の破談と再戦

  • 秀吉は冊封を一旦受けるが、朝鮮からの謝使が格下であったことに激怒し、和議を破棄して釜山への駐兵を続ける。
  • 楊方亨は帰国後、責任を沈惟敬・石星に転嫁する上奏をし、神宗は激怒して両名を処罰、邢玠・麻貴・楊鎬らを新たに任命し再戦体制を敷く。
  • 倭軍は再び南原・全州などを攻略、明軍は蔚山で交戦するが、楊鎬の采配ミス(李如梅への戦功譲渡を狙った号令)により島山の攻略に失敗し、明軍は大敗、多数の死傷者を出す。
  • 敗戦の実態は参議丁応泰の上奏で明るみに出て楊鎬は罷免される。

最終決戦と秀吉の死

  • 邢玠は江南の水軍を増強し、陳璘・劉綎・鄧子龍らを加えた四路の大軍で倭軍に総攻撃をかけるが、各路とも苦戦し大きな戦果は上がらなかった。
  • そのさなか秀吉が病死すると倭軍は撤退を開始、明軍は追撃して釜山などで倭将を討ち取るが、鄧子龍は戦死する。
  • 七年にわたる朝鮮の戦禍はようやく終息した。

評語

(詩:和議か討伐かいずれも成功せず、七年にわたり兵を疲弊させた。もし秀吉が長生きしていたら、明軍はいつまで東征を続けねばならなかったか、との慨嘆。)