明史演義第四十七回 河北の盗、畿輔に横行す/山東の賊、狼山に命を畢う (河北盜橫行畿輔  山東賊畢命狼山)

劉瑾誅殺後の論功と匪賊の跋扈

劉瑾誅殺の功により張永の兄弟や馬永成・谷大用らの縁者が相次いで封爵された。閣中には劉忠・梁儲が加わり李東陽も留任したが、弊政はさして改まらず民の困窮も変わらぬまま、各地で盗賊が跋扈し始めた。

大盗張茂と豹房への出入り

霸州の大盗張茂は太監張忠と義兄弟の契りを結び、閹奴を装って豹房に自由に出入りしていた。参将袁彪が張茂を追捕しようとしたが、張忠が宴席を設けて袁彪に張茂を庇うよう頼み込み、事なきを得た。その後、御史寧杲の命を受けた李主簿が芸人に化けて張茂邸に潜入し、内情を探った上で夜襲をかけて張茂を捕縛した。

劉六・劉七の蜂起

仲間の楊虎・斉彦名・劉六・劉七らは張忠・馬永成に賄賂で助命を図るも金がなく、官庫を襲おうとして失敗。劉六・劉七は一度自首して官軍に協力したが、束縛を嫌って再び離反し、数千の徒党を集めて畿南を荒らし始めた。

趙瘋子の参加と勢力拡大

霸州の生員趙鐩(「趙瘋子」)は妻子を守るため賊を撃退した力量を買われ、劉六に懇望されて一党に加わった。趙鐩は略奪や姦淫の禁止を条件に加勢し、弟の趙鐇・趙鎬らとともに合流。趙鐩・楊虎らは河南方面、劉六・劉七・斉彦名らは山東方面へと分かれて暴れ回った。

朝廷の対応と馬中錫の失敗

朝廷は張偉・馬中錫を派遣したが、馬中錫は招撫策を試みるも劉七らの反対で実らず失敗し、獄死した。兵部尚書何鑑の建策で陸完が辺軍を率いて追討し、武宗の郊祀を狙った劉六らの企ても未然に防がれた。

趙鐩の転戦と自立

趙鐩は各地を転戦しつつ善政を敷いた官吏には手を出さず、馬文升の郷里を避け、仇敵焦芳の邸は徹底的に焼き払った。楊虎は渡河中に伏兵に遭い溺死し、劉三が「奉天征討大元帥」を自称して趙鐩を副将とし、二十八営に編成して勢力を誇示した。

賊徒の壊滅

彭澤・仇鉞が起用されて河南方面の討伐にあたり、趙鐩・劉三の軍を撃破。劉三は矢傷を受け焼身自殺し、趙鐩は僧に扮して逃れたが武昌で捕縛され、凌遲に処された。山東方面では楊虎の妻・崔氏(楊寡婦)が夫の仇を討つべく参戦したが、許逵・仇鉞らの追討により劉六は溺死、劉七・斉彦名は狼山で討ち取られ、乱は鎮圧された。

評語

末尾の詩は、群盗討伐に数年を費やしてようやく功を成したことを詠み、混戦の中で玉石が入り混じり誰が是非を分けられようかと、犠牲の多さを嘆いている。